12番焼山寺より13番一之宮(大日寺)間の道標・丁石①(焼山寺~玉ケ峠)
四国遍路道指南には
十二番焼山寺 南むき 名西郡 本尊虚空蔵 坐四尺五寸 大師御作
詠歌 後のよをおもへバ恭敬しやうさんじ してや三途のなんじよ有なば
是より一の宮まで五里 さうち村へもどりゆきてよし 寺より南八丁わきに右衛門
の塚 しるしの杉并地蔵堂有・・・・・一の宮への道これよりも有 但少々坂あり
江戸時代の道中日記には
一、焼山寺より一ノ宮へ五り〇十一番本尊虚空蔵 奥ノ院有 ▢▢夫より南へ下ル
十三丁目 八月十四日▢泊 ぞうち村 利八 是より十八丁目迄下り大難所
川有、なべ屋村、夫より三十五丁目迄登り難所、玉ケ峠
道指南では道を戻り祓川(左右内)まで戻りそれから推定ですが城川内・庄部・上河内を通り本名に行く道筋が良いとしている。たしかに玉ケ峠を経由するより高低差が少なく歩きやすかったのではと考えられます。道筋途中には確認してませんが幾つかの道標・丁石も残っている様です。でもほとんどの人は衛門三郎で有名な杉杖庵を経由し岩鍋へ下り坂を上り玉ケ峠へと向かったと思われる。
道中日記にあるように焼山寺より鍋岩迄18丁下るのですが旧遍路道は新しい道に分断されるなどして殆ど通れませんが途中には角柱形丁石で2、3、6、7、10、11、13、14、15、16丁石が残っています。
寺より下る階段の所に徳右衛門標石で「一ノ宮迄 五里」
1丁石は見当たらず2丁石は今の遍路道沿いに
3丁石は「阿波遍路道(焼山寺・一宮道)」に記載されていたので探してみましたが確認出来ませんでした
4,5丁石は不明で6丁、7丁石
8丁、9丁石も不明で10丁石は焼山寺へ向かう車道に出る手前に
車道を少し歩き杉杖庵前には11丁石
すぐ横には多くの道標を立てている五嶋政吉の右衛門三郎古跡碑があります。
12丁石は無く杉杖庵からはすぐに左へ遍路道を下ると13丁石
14丁石は旧道沿いに倒れた状態
旧道を下ると15丁石は新旧遍路道が交わる所に
是より再び旧道が在るようですが廃道となり道がわからず16丁石は確認出来なかった。現遍路道の車道を下り鍋岩集落に至ります。18丁から20丁石はありません。焼山寺バス停の少し先で遍路道は車道から別れ左の山道へ入り今まで下ってきた道が上り道となります。
登り口分岐の所に明治の道標が2基
遍路道に入るとここからは角柱形丁石に代わり全てが舟形丁石となり20丁石から確認出来、13番迄続きます。道中日記にあるように35丁目まで登り玉ケ峠迄に至ります
25丁石は途切れて今は通れない旧遍路道沿いに
左へ旧道に入った所の石垣の間に
この先旧遍路道は分かりづらくなっていて資料にある26、28、29丁石は探してみたのですが確認出来ませんでした。
車道を歩き少しして右の山道へ遍路道に入り
34丁石は無く35丁石は確認出来ませんでした。
やがて玉ケ峠へ、ここには徳右衛門丁石「一ノ宮迄 四里」
向に道標があるが風化がひどく刻字は読みにくい
参考資料
①遍路道「徳島県歴史の道調査報告書第5集」平成13年 徳島県教育委員会
③遍路道の道しるべ「焼山寺から大日寺まで」平成13年 神山町 大粟玲造編
④遍路道の道しるべ「焼山寺から大日寺まで」平成14年 神山町教育委員会社会教育課
②は柳水庵から鍋岩までの詳細な内容が書かれています
③には道標・丁石を図入りで詳しく書かれていて簡単な地図も記載されています
MAP13-1(カシミール3Dより作成)
MAP13-2
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