四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

40番観自在寺から満願寺(篠山経由)へ

40番観自在寺から満願寺(篠山経由)間の道標・丁石

 40番からは広見(札掛)迄戻り鳥居から左の道を進み小山を越えて板尾へそして板尾坂を越えて戸建てずの庄屋の逸話で有名な正木へそれより秡川を渡り篠山へ今は無くなっている観世音寺に札を納、さらに少し登り奥の院、天狗堂、熊野権現社と山頂を廻って山を下り秡川を渡り今は通れないが所々有り山路を進み、槇川、御内と過ぎ、山財からは満願寺へ寄るか又は直に野井へ進み野井坂を越えて宇和島城下へそれから窓峠を経て41番稲荷へ向かう道筋で満願寺迄を記載。

「四国遍路道指南」要約

篠山越、観自在寺より広見村へもどり、〇板尾村○正木村、この村庄屋は代々、戸を閉めない。有難い云われ有。
〇祓川、垢離して篠山へ行く。篠山観世音寺、本尊十一面立像五尺
○寺より三町西に天狗堂。其上に三所権現、此所に札を納める。
○矢筈の池、中に不思議な石が有る。池の周りには笹竹が生えていて夜ごと竜馬が来てこれを食む。諸病に良いと諸人持ち帰る、馬の病には猶よいと言い伝えがある。
槇川村、番所が有り往来手形を確認される。大師堂在り。

庄屋長右衛門が泊めてくれる。

○御内村、庄屋伊左衛門が泊めてくれる。
○山財村○岩淵村、満願寺、山を左にして東向き、宇和郡津島郷、本尊薬師、行基作、秘仏。御詠歌 「 よろずよのねがひをこゝに満願寺 ほとけのちかひたのもしき哉」

この寺は札所ではないが弘法大師草創の寺で昔は大伽藍の寺であったが時を経て今は

廃れている。「四国遍礼霊場記」とこの「四国遍禮道指南」の出版による利益でこの満願寺を再興することが真念の願いです。

△四国遍禮霊場記 

△四国遍路道しるべ 全

〇野井村、観音堂有、此村の伊左衛門は延宝年間に七年間にわたり遍路人に草鞋を施した慈悲深い人で泊めてくます。次に地蔵堂が在る。野井坂〇祝森村、地蔵堂〇稗田〇寄松村、毘沙門堂、是より宇和島城下迄松並木でいい道である〇城下入口に願成寺、又は元結掛という由緒ある寺がある。

 

「四国遍禮名所図会」二巻 抜粋

是より先の広見村迄戻る。追分茶店有、石ノ地蔵尊 是より左へ行 小坂 峠にて一休 いたを村 坂 大坂なり尤通り吉 坂半にて支度 正木村 六良右衛門殿一宿 此所ハ宿相対にかさず 庄屋より指宿をいたす
廿四日 天キ吉 出たち 少し行雨戸無シの庄屋 大庄屋也 篠山権現の御利生依て盗賊、此所家へ得不入 雨戸なしの障子也

秡川 是よりおさゝ迄五拾丁坂也。四拾丁程上り一字権現社
篠山観世音寺 本堂十一面観音 脇士薬師如来地蔵大菩薩、方丈 是にて支度  本堂のにし方、是より奥の院へ上る。三丁也。天狗堂、熊野権現池 社の裏ニ有 此所山頂也。雲に御(ぎょ)するが如く。篠、一面にはへ小き朽木ばかり也。不思議の山也。是より麓迄三十七丁。別れ道五丁目有、寺への道也加持水 十四丁目ニ有 槇川村 是迄下り坂、難所也。谷川 茶屋有、支度。山道行、谷川。槇川村 小坂 山の横下る 身内村 松浦徳佐衛門殿 一宿 上家也
廿五日  天キ吉 出立  身内村より行谷合イ。仁井木村、地蔵堂 此所茶屋にて支度仕る
川 三べんわたる  さんざい村、是より堤を行、右へ下る山路行。野井村 野井坂 峠にて休足岩井の森村 亀石 左手ニ有、其形亀の如し  大師堂 茶屋ニて支度 子安地蔵堂 左手ニ有 土橋 ひゑた村  土橋 大はし也 堤をわたり  三光山 右手ニ見ゆる 大山也。三光大権現社有  より松村 是より宇和城下 入日、並松
宇和嶋城下 伊達大膳太夫 十万石 江戸ヨリ二百七十余り
願成寺 町入口右手ニ有  元結掛大師堂 同寺ニ有り 是より左へ行 右へ入  番所 切手を改ム  
橋をわたる。濱手町松屋某一宿
廿六日 雨天 出立 町放れより右へ入、土橋、是より右へ行 和霊大明神社 當城下家中 和霊某霊を恐る  楼門、神楽殿、社家。下村、小川。中間村 山ノ下をとふる 地蔵堂 是より右へ行。山路とふる。三ツ間村 清水大師堂 右手ニ有り  清水 大師の傍ニあり  無太村 山路ゆく 窓峠 坂 庵 峠ニ有り  大師を安置ス 七度栗 大師加持遊で壱年ニ七度実る栗也  とがり村
四十一番稲荷 宇和郡とがり村 佛木寺迄三十丁

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40番観自在寺からは来た道を広見(札掛)迄戻る。

札掛には篠山神社の鳥居があり是より篠山への遍路道に入る。少しの峠越えて愛南町増田の増田川を渡った所に徳右衛門標石と自然石の道標 「ささ山へ三り」

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次に今は篠南トンネルを通りますが江戸期の旧道は分からず旧県道の車道を歩きましたが石造物などは見当たりませんでした。

道を下った所、県道322号線との合流地点には自然石の道標

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県道332号を北上して正木の旧道沿いにある番外札所の歓喜光寺(明治時代の神仏分離観世音寺は廃寺となり本尊十一面観音像は歓喜光寺に移されている)への入り口に徳右衛門標石 「ささ山へ二り」

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そして県道から右へ篠山橋を渡ると篠山神社二の鳥居があり、山への登り口に元文5年(1740)の舟形道標があり寺迄50町の刻字

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以前は橋の袂にも道標が有ったようだが今は無くなっています。

 江戸時代の道中日記には

「川手坂口より寺迄五拾丁内、廿四五丁迄は芝山夫より深山難所・・・・」

 山道を100m程登ると自然石の道標

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さらに1km程登ると登り口に有った物と同様の舟型地蔵道標があり

寺迄40町 尚、寺からの下り道にも同様の道標が有ります。

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山道を3.7km程登ると篠山登山口の駐車場に出るのだが途中、石造物は見当たらなかった。 

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駐車場から500m程登ると観世音寺跡があり、さらに登って最後は階段となり篠山神社に達する。そして山頂には国境碑が建つ。

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昔の道中日記によると篠山の山頂には小さな水たまり(矢筈池)があり今は見られないが付近にはミヤコザサが生えていた。かつては笹を矢筈池の水に浸してこれが万病に効くと土産に持ち帰ったようです。

来た道を戻り100m程で右に向かい裏参道に入る。100m程の所に一丁の舟形地蔵

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さらに400m程下ると道標
裏参道を登ってきた人に向けての道標で神社へ行く道と観世音寺へ行く道の分岐点

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附近で今の道はやけ滝方面へ下って行くのであるが旧遍路道は尾根沿いを下る。
350m程進むと左側に倒れている丁石

風化が激しく不鮮明であるが七町石と思われる

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そして1km程下ると舟型地蔵丁石

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この先100m程で篠山の北尾根筋から別れ明治末の地形図から想定した道を左へ北西方向に下って行きました。300m少しで明治時代の水盤があり旧道だと確認できほっとする。四国偏礼名所図会には「加持の水 十四丁目に有り」と書かれておりそれかもしれない。

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600m程下ると23丁石(舟形地蔵)

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この先尾根筋を下って行き麓の秡川までにはいくつか丁石、丁石の台石だけの物が数個みられた。
26丁石(舟形地蔵)

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下部欠損の丁石(角柱)で27丁と思われる

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すぐ近くには丁数不明の丁石(舟形地蔵)

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次に30町石(舟形地蔵)があるがこれは篠山への登りにあったものと同様の物

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次に地蔵の台石だけが2ケ残っていた。28、29丁か?

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100m程下ると林道に出る。旧道は林道を横切りその先に続く

すぐに台石、そして角柱型の丁石(丁数不明)

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その先に丁石の台石を2ケ確認するがその先、道がわからなくなり石造物は見当たらず
祓川迄下るが渡り口の石橋が見当たらず。車道迄へと出る。

後で調べたら近くに金前橋が有り橋碑と近くには丁石地蔵も有る様なのでいつか確認したいと思う。

車道を横切りその先少し荒れた旧道を少し登ると篠山神社の鳥居が山中にひっそりと建ってい居た。

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その先の旧道は少し行くとわからなくなり適当に車道へと出ました。

付近の旧道は通ることが出来ず秡川温泉の少し南の山中を通り山本牧場付近を通過してたようです。温泉の前の車道を通り県道4号線から286号線に入り900m程の所に道標が有り旧道は槇川を渡り附近に出ていた。

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少し先には自然石の道標

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旧道は附近より少し登り御槇神社付近の峠を越え御内へ出ていたが途中道が分からず

登り道に有る道標は確認できなかった。

御内からは県道4号線を歩くのですが旧道は山手に有りで少したどってみるが途中で道は消滅していた。

次に県道下の川沿いの旧道には徳右衛門標石が残る 「いなりへ六り」

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 岩松川沿いに進み何度か川を渡り颪部には江戸時代の道路改修の碑があり

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満願寺への分岐に在った自然石の道標が残る。

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この先は満願寺を経由して先の灘道からの道と合流するか直に野井へ出て灘道からの道に合流していた。

四国遍禮名所図会より

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 MAP41篠山01

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MAP41篠山02

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MAP41篠山03

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MAP41篠山04

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MAP41篠山05

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MAP41篠山06

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MAP41篠山07

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MAP41篠山08

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MAP41篠山09

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