四国遍路道指南
四国遍禮名所図会より
不二門 龍池社 道の左へ少し入有り 仙袖橋 竹谷村
毘離那窟 流霞橋の手前少し行有り 流霞橋是より十丁斗り行
古岩屋 堂ノ跡古木石居有り 洗月泉石佛大師 是より十丁余行
石地蔵尊 先ノ別れ道也 山道行先の畑の川 爰にて一宿
二日 天キ出立 芝山 坂 菅生村 小坂 東明神村 見坂茶屋 爰にて支度
見坂峠 登り無ふして。下る事壱里斗り。此所より見渡ス景色よし
松山の城道後の町伊豫の高根みたらへ 雄戸の瀬戸下の関三ツヶ濱
絶景いわんかたなし是を下り久保野村 此所にて支度
網岩 道の右ニ有り石網の如し 榎木村 浄瑠璃村
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四国遍路 同行二人より(明治45年)此村欽英堂
次へ六里二丁(旧八里)、畑の川迄打戻り、立石を右へ十三丁上ると千本峠、二十六丁下ると国道で・・・右へ一里十八丁行き、立石を右に入り三丁行くと三坂峠で、ここから北を眺むれば、松山市やその付近は一眸に映りて久しく山又山を巡りた眼には、気も晴々します、二十二丁余下ると桜・・・ここまでの間は極々急勾配の下り、ここから十三丁行くと、網掛岩で、二十三丁行き出口橋を渡り、十丁行くと。
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現在の遍路道を歩くと岩屋寺から古岩屋経由で畑野川迄6.4kmでそれより千本峠経由で国道迄は4.2km、国道を5.8km進みそれより右の旧道に入り三坂峠から下り
浄瑠璃寺迄約8kmです。合計24.4km
45番岩屋寺から46番浄瑠璃寺への道は寺を下り仙袖橋(直瀬川)を渡り県道へ出て左へ流霞橋を渡った先の旧道は通れず古岩屋トンネルを通りトンネル出口より左へ旧道に入るしばらく川沿いの道を歩くとやがて県道に出る。そして古岩屋前の県道沿いに丁石があるがおそらく44番から45番への道筋に在った物だろう
これより古岩屋の前で県道から別れ左へ谷川沿いの山道を通り八丁坂の分岐へと出る。それからは来た道を下畑野川河合へと戻る
下畑野川河合よりは三叉路を西へ千本峠越えの道を登って行く
峠までにいくつかの道標が残る
千本峠から少し下り旧遍路道は右へ行くのだが道が崩れて通れず南へう回し高野へ向かう
高野で旧道に戻るがそこに道標が移されている(明治30年)
田んぼ、棚田などの下って行く道の途中にある道標(明治36年)
やがて車道に出た所にも道標
車道を150m程進むと道標があり遍路道は右へ向かう様だがこの先の採石場付近の山裾を通る旧道は消滅している
そのまま車道を下り国道へと出る。採石場を回り込んだ先の旧道沿いには2ヶの道標ひとつは田んぼ先端には寛政元年の道標があるが元の位置から移動していると考えられる
最近訪れてみたが草木が茂り無くなったのか確認できなかった 写真は2008年
一部の遍路は道指南に書かれているように久万町まで戻りそれより浄瑠璃寺に向かった
がその久万町の街道に松山からの里程石(松山より7里)
一部残る旧街道の細い路地に徳右衛門標石に似ている下部欠損の標石
次に先の千本峠越えの道と久万からの街道と合流した付近にある道標(明治30年)は少し移動している
この松山方面へ向かう街道は所々残っているが今は国道を三坂迄進む旧道沿いには
田んぼの中を通る旧街道
国道南の谷川を隔てた旧街道沿いに在った徳右衛門標石は国道沿いに移設されている
しばらく行くと三坂峠で道は急な坂道となる。山路を下りやがて舗装道路となり所々ショートカットの道があるが概ね県道を進む。県道から別れ左へ旧道を進むと右側に網掛石がありその前に道標
再び県道に出ると下部が埋まって欠損してる松山からの里程石(松山より4里)がある
県道207号線から左へ県道194号線へ入る所の出口橋の袂に
100m程進み坂本公民館前の道標(天保2年)
浄瑠璃寺へ1丁の文政2年(1819)の道標
46番浄瑠璃寺
四国遍禮名所図会より
MAP46-01(カシミール3Dより作成)
MAP46-02
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