四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

59番国分寺から60番横峰寺へ1/2(小松町大頭迄)

59番国分寺から60番横峰寺間の道標・丁石1/2(小松町大頭迄)

四国遍路道指南

四国遍禮名所図会

 領境標木 今治領さかひなり此間 天下領 壱万石天領なり 

 櫻井村 長沢村此所にて支度仕候 長沢村 此所にて支度仕候

 是より山路小坂 此間壱里程あり 次に茶屋あり

 石の地蔵 山の半に 右にあり 

 楠村 医王山道安寺 村はづれにあり

 臼井水 道の左 道安寺門前なり 石臼の井よりわき出る

 大師堂 井の上にあり 標石 井の道ぶちにあり 臼井水ト碑銘あり

 中村 川 小川也 わたり 北新町 町家なり支度致候

 丹原町 町家広し 生木地蔵 楠の大樹なり大師自刻し給ふ今に枝葉茂りある

 まへにあり 八幡宮 山上にあり下に門有り 新田村 川 常に川原なり

 大頭村 町有小松領 此所にて一宿 此所に荷物置行

 十三日 天気吉出立 大頭町 半より右へ入る 石燈篭 是より横峯寺迄百丁山坂也

 明雲寺 石燈篭より少し入りあり 不自由に峯へ登る所也人ハ爰にて札を摘然共大方登る

 おうご村 茶屋在あり是より五十丁 おうごより少し行あり?よりまた瀧也

 蛤石 登り口にあり右手に在形はまぐりのことし  銅の鳥居 是より本堂迄三丁ばかり

 六拾番佛光山福智院横峯寺 周布郡香苑寺迄三里

現在の遍路道を歩くと30km程の道法です

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国分寺入口の階段を上った所にある徳右衛門標石 「横峯迄6里」

28丁は追刻と思われる

国分寺入口の道標(大正3年

細い路地を進み右へ曲がる

路地を抜け県道に出ると2基の道標

北側の道標(弘化3年)

南側の道標(明治29年)中務茂兵衛の標石

用水路脇の道標(天保15年)

これより左へ用水路沿いに東南方面へと進む

桜井に入りT字路にある茂兵衛標石(明治37年

桜井小学校の北側生垣に折れて置いてあった道標

現在は見当たらず何処かに保存されていればいいのだが

県道156号線を進む

法華寺入口前に有る道標

少し行くと左右に道標

左側の道標(明治45年)

右側の道標

少し東方には綱敷天満宮がある

JR桜井駅から綱敷天満宮への道案内(大正13年

県道と細い路地の三叉路の道標

県道を行く

徳右衛門標石 「横峯迄5里」

少しの坂道を登ると右手に世田薬師があり

遍路道は県道から左へ別れ下り道となる(茂兵衛明治44年

世田薬師(栴檀寺)入口にある道標(嘉永元年)

坂道を下り六軒家には上部欠損の道標が有ったようだが無くなっている

坂を下りきった所の道標

北川を渡りそしてJRの踏切を越えると左側の道路下に臼井水大師堂が見える

道路の右側には徳右衛門標石 「横峯迄4里」

大明神川を渡った所に2基の道標

次の三叉路 遍路本道は右に進む(茂兵衛明治36年

しばらくは県道150号線を進む

新町の道標 是より左へ南東へ向かう

県道150線と155線が交差すると所(茂兵衛大正3年

是より県道155線 東南へ進む 

すぐの左手には和霊神社と大師堂がありその敷地内に

生木地蔵を示す常夜燈型の道標

新川を渡り左側の地蔵堂脇に2基の道標

一つは徳右衛門標石 「横峯迄3里」

150m程で旧遍路道は左側の田んぼの中を進むが旧道沿いに在った道標が

少し西側の新道沿いに移動している(文化13年)

田んぼの間にある道標 この先の遍路道は消滅している

消滅した遍路道の先にある道標(明治11年) 

西条市丹原総合支所玄関前に移設されている道標

支所入口にある里程標 「松山より10里」

田原町中を進む

とうしょく丹原店横の十字路の道標(大正15年)

民家庭にある道標 付近に有ったのだろう

生木地蔵入口の道標(大正9年

生木地蔵の出口にある道標

楠の枯れた大木の前には何を示すのか不明の丁石

鶴岡八幡宮の小山の麓を過ぎた所の道標

町道脇の自然石型の道標

小松町大頭に入り国道11号線を少し行きそれから右側へ県道147号線へ入る

500m程で横峰寺の前札所妙雲寺が有り入口に3基の道標

徳右衛門標石 「横峰寺迄100丁」

MAP60-1(カシミール3Dにて作成)

MAP60-2

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MAP60-7

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