四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

64番前神寺から65番三角寺へ①(誓松延命寺迄)

64番前神寺から65番三角寺間の道標・丁石①

前神寺から土居町延命寺

四国遍路道指南

四国遍禮名所図会

 爰より三角寺迄三里也 すの内村安住村川 常に河原也 大町 此所にて休息

 西條領是まて 松山領是より  上嶋山村 此所にて支度 半牛村中村

 〇国竜村小山 銅山川 此辺川上に銅を掘出す山あり 川水鶏印をときし如なり

 長野村 此所にて一宿 

    十五日 雨天出立 西ハ西條 東ハ松山 領境関村大師堂 同所に有

 〇川 石橋わたり  上野村 此所より讃岐象頭山見ゆる 土居村

 〇大坂講中接待 道の左にあり 誓の松 道の左接待店次にあり 名木結構なり

 天神社 松の側にあり 常村 此所にて支度仕候 長谷寺心見の観音 右の山路にあり 

    川中の庄村 此所にて支度 三嶋町 左に見ゆる 能き町也

 滝宮村牛頭天皇薬師堂 各滝宮にあり

 横尾村銀杏石 横尾村 某庭にあり 道の左屋敷にあり 

 是より由霊山迄山道なり十八丁餘

 六拾五番由霊山慈尊院三角寺 宇摩郡槇尾村 雲辺寺迄五り

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現在の64番前神寺から歩くと土居町延命寺迄は28km程の距離です

前神寺西口の道標(昭和8年) 石鎚山駅を案内

前神寺入口の茂兵衛道標(明治37年

前神寺参道途中の徳右衛門標石 「三角寺迄10里」

かつて石鎚神社に在った里前神寺からの移設だろう

次に遍路道賀茂川を渡るが明治末に架けられた橋は無くなっている

橋の両側にあった里程標

川を渡った先 地蔵堂脇の道標

西条へ向かう道との交差点にある道標(明治44年

寿し駒さんは横峰寺の小松からの道筋の丁石を設置したといわれている

西条市福武甲天皇の徳右衛門標石

下部は不明 おそらく三角寺迄9里だろう

横の道標(大正6年

遍路道ではなく国道沿いにある道標

徳右衛門標石と似通っているが施主などの刻字がなく

再建されたものではないだろうか

西条市飯岡の金毘羅里程標 「金毘羅へ17里」

川之江の三島までは遍路道は金毘羅街道(讃岐街道)と重なる

飯岡公民館には領界石「従是東小松領」が保管されているが未確認

飯岡半田に有る「堂の本地蔵屋敷」傍には徳右衛門標石 「三角寺迄8里」

新居浜市萩生 岸ノ下の道標

昔は付近に宿屋が数軒あったようだ

金毘羅の里程標 下部はブロック塀に近く読み取れないがおそらく金毘羅迄16里

遍路道から南へ300m少しの萩生寺内には徳右衛門標石が移設保管されている

三角寺迄7里」

遍路道は喜光地商店街のアーケードを通る

商店街を抜けた先には4基の道標

旧道に残る徳右衛門標石 三角寺迄6里だろう

この先は国領川があり通ることは出来ない

国領を過ぎて国道と合流して少しの坂を上り芭蕉の句碑を過ぎ

長野には金毘羅里程標 「金毘羅より14里」

附近にある大正年間開創の新居浜八十八ヶ所を示す道標

関ノ戸には郡界石が在るようだが確認出来なかった

土居町上野に入ると道は二筋に分かれる

左の道筋の金毘羅里程標は撤去されたのか見当たらなかった

右側の道筋にある地蔵型道標(安永9年)

茂兵衛道標(明治22年

JRの踏切を渡った先にある道標(昭和9年

土居町畑野の民家ブロック塀にある徳右衛門標石 「三角寺迄4里」

別子銅山方面を示す道標

延命寺向いの「いざり松」のあった敷地内にはいくつかの道標

034と035の道標の頭部がへこんでいるのは

「いざり松」の枝を支える支柱として利用されていた為

「いざり松」は昭和43年に枯れてその一部が置いてありその横には領界石

MAP65-01(カシミール3Dにて作成)

MAP65-02

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