67番大興寺から68番琴弾八幡宮への遍路道には多くの丁切地蔵が残り真念標石、照蓮標石、中務茂兵衛標石も残っていますが徳右衛門標石は見当たりません。
大興寺本堂から仁王門に下る階段脇の道標
仁王門脇の道標
仁王門の先には3基の道標が並んでいます
この先、観音寺市池之尻町まで丁切地蔵が多く残っていて38丁石迄確認
3基の丁石が集められています
資料(山本の石仏探訪)によると七丁石が少し離れた墓地に又、菅生神社近くには移設された道標が在るようですが未確認です
国道沿いに丁石「小松尾寺まで八丁」と中務茂兵衛の標石
9丁石には年号が記されていている(明和4年 1767年)
やがて遍路道は右へ細い路地を通る
墓地の片隅には15丁
尚、この付近に在った真念標石は琴弾公園内の道の駅横にある郷土資料館に保管されていたが現在は大野原町にあるふるさと学芸館に展示されているようです
金神神社近くの真念標石 観音寺市内には5基と多くの真念標石が残っている
すぐ先に丁石と思われる地蔵
豊田小学校よこを過ぎた先の道標(一部手直しされている)
池之尻町の心光院前には3基の丁石が集められている
県道24号線を横切る手前には2基の道標と上部欠損の28丁石
奥に見えるのは移動した茂兵衛標石
中務茂兵衛の標石は少し移動している(写真は2009年 移動前)
現在の遍路道は左へ行くが江戸時代は直進していたと思われる
直進した先に残る古い道標
文化12年(1815)の31丁石
これより先には丁切地蔵は見られない 池之尻から大興寺迄38丁
照蓮標石は徳島県に72基、高知県には5基を確認していますが香川県には観音寺市の3基以外は無かったと思います
真念標石と茂兵衛標石 是より遍路道は二筋あり直進する道と右に折れ丸亀(伊予)街道を経て植田天満宮経由で琴弾へと向かう道がある
植田天満宮内には伊予街道沿いにあったと思われる植田の松を示す2基の道標
「道の駅ことひき」の横に移設保管されている道標
光明寺前の道標 奥に見えるのは照蓮標石で現在は少し移動している
照蓮標石
三架橋を渡ると少し北にある興昌寺一夜庵を示す標石がある
琴引き公園内の老人憩の家前には移設された道標 元は三架橋を渡る手前に在った
琴弾神社への階段の途中の玉垣には「妙見道」と示されている
脇に丁石
階段を登り切った所には真念標石
2024年11月15日追記
大興寺からの丁石 7丁石は墓地内に移設されている
遍路道から少し離れた菅原神社の参道脇の建屋の裏に4基の道標が置かれている
多くは遍路度沿いに在った道標と思われ1基は真念標石
菅原神社道標1
刻字から真念標石と思われる。横倒しで置かれており大切に保存してほしいものだ
菅原神社道標2
菅原神社道標3
菅原神社道標4
追加MAP
四国遍禮名所図会の琴弾八幡(別当神恵院) 現在の68番札所は観音寺内にある
68番への道標MAP(カシミール3Dにて作成)