四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

87番長尾寺から88番大窪寺

87番長尾寺から88番大窪寺間の道標・丁石

長尾寺境内の大きな樟の前には2基の道標、1基は各所を案内していて東に向かうと町田へ3里、白鳥へ4里半、引田へ4里、西に向かうと高松へ4里、仏生山へ3里、滝宮へ2里、金毘羅へ9里、丸亀へ9里

大窪寺迄は3里半の道法 現在歩くと15.5㎞程です

遍路道より少し外れているにある道標

道の左、ブロック塀に囲まれた小さな墓地内には最初の丁石 146丁(享和3年 1803年)

143丁石は道の右側の墓地に在り

この道標は遍路道本道からは外れたところにある

中務茂兵衛標石(明治27年 1894年)手前の讃岐街道沿いにあった物が移設されたと思われる

川原の庵(寶政寺)前に移されている道標

塚原橋手前の道標 大窪寺迄171丁

小祠内の地蔵道標 大窪寺へ2里(読み取りにくく3里と思われる)

逆遍路の道標 長尾寺15丁 八栗寺3里。

道の右側に釈迦堂がありその近くに130丁石

一心庵には2基の道標が移されている

徳右衛門標石(寛政6年 1794年) 「大窪寺迄二里半」

電柱の脇に自然石の道標

前山ダムの建設の際に移動された中務茂兵衛標石

付近にあったものだろう地蔵台石に大窪寺へ120丁と記す(宝暦13年 1763年)

へんろ資料館前には4基の道標が集められている

東に行くと昼寝城跡があり桜が有名

徳右衛門標石 これは珍しく角柱型でなく切石型

花折峠にある道標大窪寺へ70丁石

69丁石

上部欠損して丁数が不明な丁石

66丁石(明和元年 1764年)

峠を下り県道へ出た所に65丁石 (明和元年 1764年)

遍路道と金毘羅を示す道標と丁石が並ぶ

64丁(宝暦14年 1764年)

63丁(明和4年 1767年)

60丁(天明2年 1782年)

59丁石が2基(天明2年1782年と天明4年1784年)

57丁、58丁(宝暦13年 1763年)

56丁

55丁

遍路道は左へ額川を渡るがそのまま少し県道を行くと3基の丁石が集められている 50、53、54丁

上部欠損で丁数不明

51丁(明和元年 1764年)

45丁(明和元年 1764年)

上部欠損して丁数不明(安永6年 1777年)

今は通らない旧遍路道にある42丁石(明和元年 1764年)

39丁も現在の道から外れる 道路下にある

今は右の道を通る

38丁(宝暦14年 1764年)この先宝暦14年の丁石が続く

37丁

36丁

今は通らない旧遍路道にある道標(宝暦12年 1762年)

遍路道が少し残り 34丁(宝暦14年 1764年)

遍路道を出たところには33丁

30丁

29丁

27丁この先は(宝暦13年 1763年)の丁石が続く

26丁

25丁は畑の田んぼの道沿いにある。

遍路道に残る24丁

23丁も旧遍路道添い

県道添いに上部欠損で丁数不明の丁石

21丁石 旧遍路道は付近より北へ進む

左へ行くと大窪寺まっすぐ行くと徳島方面へ 3基の道標が集まり徳右衛門標石もある

徳島にある四国88ヶ所の奥の院大瀧寺を案内

20丁 この先の県道添いにある丁石のほとんどが旧道から移動されていましたが2022年には旧道に戻されたようです。私が確認したのは2019年なのでその時の位置、写真を示しています。

是より札所迄19丁

18丁石

17丁石

今は通らない旧遍路道に残る丁石16丁から14丁

15丁

14丁

13丁 

12丁

11丁

一部残る旧遍路道には沿いに2基の道標 ①徳島の脇町迄200丁

②札所迄10丁(元文3年 1738年)

10丁

 

9丁 

8丁 

7丁 

6丁 

5丁

駐車場脇の4丁石 

3丁 

2丁石は境内に置かれていたが現在は寺入り口、に移動している

遍路道の指先の道標

1丁石は小祠内

大窪寺にはミニ四国88ヶ所がある

奥ノ院を案内

MAP88(カシミール3Dにて作成)

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