長尾寺境内の大きな樟の前には2基の道標、1基は各所を案内していて東に向かうと町田へ3里、白鳥へ4里半、引田へ4里、西に向かうと高松へ4里、仏生山へ3里、滝宮へ2里、金毘羅へ9里、丸亀へ9里


大窪寺迄は3里半の道法 現在歩くと15.5㎞程です


遍路道より少し外れているにある道標


道の左、ブロック塀に囲まれた小さな墓地内には最初の丁石 146丁(享和3年 1803年)


143丁石は道の右側の墓地に在り


この道標は遍路道本道からは外れたところにある


中務茂兵衛標石(明治27年 1894年)手前の讃岐街道沿いにあった物が移設されたと思われる


川原の庵(寶政寺)前に移されている道標


塚原橋手前の道標 大窪寺迄171丁


小祠内の地蔵道標 大窪寺へ2里(読み取りにくく3里と思われる)




道の右側に釈迦堂がありその近くに130丁石


一心庵には2基の道標が移されている




徳右衛門標石(寛政6年 1794年) 「大窪寺迄二里半」


電柱の脇に自然石の道標


前山ダムの建設の際に移動された中務茂兵衛標石


付近にあったものだろう地蔵台石に大窪寺へ120丁と記す(宝暦13年 1763年)


へんろ資料館前には4基の道標が集められている






東に行くと昼寝城跡があり桜が有名


徳右衛門標石 これは珍しく角柱型でなく切石型




69丁石


上部欠損して丁数が不明な丁石


66丁石(明和元年 1764年)


峠を下り県道へ出た所に65丁石 (明和元年 1764年)


遍路道と金毘羅を示す道標と丁石が並ぶ


64丁(宝暦14年 1764年)


63丁(明和4年 1767年)


60丁(天明2年 1782年)




57丁、58丁(宝暦13年 1763年)


56丁


55丁


遍路道は左へ額川を渡るがそのまま少し県道を行くと3基の丁石が集められている 50、53、54丁




上部欠損で丁数不明


51丁(明和元年 1764年)


45丁(明和元年 1764年)


上部欠損して丁数不明(安永6年 1777年)


今は通らない旧遍路道にある42丁石(明和元年 1764年)


39丁も現在の道から外れる 道路下にある


今は右の道を通る


38丁(宝暦14年 1764年)この先宝暦14年の丁石が続く


37丁


36丁


今は通らない旧遍路道にある道標(宝暦12年 1762年)


旧遍路道が少し残り 34丁(宝暦14年 1764年)


旧遍路道を出たところには33丁


30丁


29丁


27丁この先は(宝暦13年 1763年)の丁石が続く


26丁


25丁は畑の田んぼの道沿いにある。


旧遍路道に残る24丁


23丁も旧遍路道添い


県道添いに上部欠損で丁数不明の丁石


21丁石 旧遍路道は付近より北へ進む


左へ行くと大窪寺まっすぐ行くと徳島方面へ 3基の道標が集まり徳右衛門標石もある






20丁 この先の県道添いにある丁石のほとんどが旧道から移動されていましたが2022年には旧道に戻されたようです。私が確認したのは2019年なのでその時の位置、写真を示しています。


是より札所迄19丁


18丁石


17丁石


今は通らない旧遍路道に残る丁石16丁から14丁


15丁


14丁


13丁


12丁


11丁


一部残る旧遍路道には沿いに2基の道標 ①徳島の脇町迄200丁


②札所迄10丁(元文3年 1738年)


10丁


9丁


8丁


7丁


6丁


5丁


駐車場脇の4丁石


3丁


2丁石は境内に置かれていたが現在は寺入り口、に移動している


旧遍路道の指先の道標


1丁石は小祠内


大窪寺にはミニ四国88ヶ所がある


奥ノ院を案内


MAP88(カシミール3Dにて作成)








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