大師堂前の茂兵衛標石


金倉寺駐車場を通り出口にある茂兵衛標石 北へ行く


茂兵衛標石に従い左へ


六条地蔵堂の道標


葛原正八幡宮の西側にある地蔵台石型道標


すぐ近くに


茂兵衛標石が交差点の西側に


東側にも


道路わきに倒れている茂兵衛標石


まっすぐ北へ進む


茂兵衛標石(明治28年 1895年)


2基並ぶ道標 道隆寺へ5丁(500m少し)




道隆寺は左へ折れ100m程です


77番道隆寺(四国偏禮名所図会より)
(=^・^=)END
出釈迦寺からは曼荼羅寺前へ戻り北へ 左側に茂兵衛標石 遍路道は右に折れる
県道が拡張された際に掘り出され全容が見えるようになった茂兵衛標石
甲山(かぶとやま)北側の山際に二つに折れて放置されている道標
74番甲山寺(こうやまじ) 四国遍禮名所図会より
甲山寺門前に2基の道標
甲山寺にはミニ西国三十三ヶ所めぐりがある
川を渡る手前にある道標 丸亀、多度津は北へ、金毘羅は南へ、善通寺は西へ
是より右へ行く
この先遍路道は一部消滅している
75番善通寺 四国遍禮名所図会より
善通寺境内には3基の道標 ①正覚門近くの道標 少し西に香色山ミニ四国八十八ヶ所
がある
②南大門の東 法然上人逆修之塔の横にある道標
③南大門の大クス前に
善通寺市総合会館手前には多くの道標、丁石が保存されている
金毘羅街道を北上する。右に折れる所には3基の道標
真念さんの道標も
遍路道から少し外れた民家脇に置いてある金毘羅への丁石
下吉田下所集会所には3基の道標が移設されている
金倉寺前の茂兵衛標石
76番金倉寺 四国遍禮名所図会より
(=^・^=)END
少しの坂を登る。下り道の途中に丁石
溜池の横を通った先にある道標 以前は少し手前にあった。遍路道から左へ少し山手に入った所にある「法然上人の蛇身石」を案内
舗装された道を下る 高速道の手前に
高速道の下を通る。少し行くと左手に石垣の一部となっている道標が
上池へ出た所に2基の道標が並ぶ
以前は少し先にあった
遍路道からは少し左へ 民家前に移設された道標
この道標は少し先の登りとなる所に有る常夜燈脇に倒れて置かれていた
是より少し先で小坂を登ると2基の道標
国道11号線の少し下 大池の近くの旧道にある道標 旧道は池に沿って通っていた
七佛薬師堂前の道標 西行上人の歌が刻まれている 芋畑の古跡
七佛薬師堂からの旧遍路道は大池近くを通っていた そこにも道標
国道に出た所には茂兵衛標石
遍路道は県道から右に入る
遍路道本道からは右へ西行庵(水茎の岡)を経て曼荼羅寺へ向かうことも出来る。刻字内容から移設されたものだろう
水茎の岡(四国偏礼名所図会より)
確認していませんが近くの民家に保管されているという道標
西行庵へ向かう途中にある道標
遍路本道を進むと池の際に茂兵衛標石
すぐ先にも茂兵衛標石がありまっすぐ進むと曼荼羅寺 右は出釈迦寺経由で曼荼羅寺へ
曼荼羅寺の北側参道口には2基の道標
昔の道中日記を読むと金毘羅参詣を兼ねて弥谷寺へ立ち寄る旅人も多くいた
72番曼荼羅寺(四国偏礼名所図会より)
曼荼羅寺にはいくつかの道標が移設されていて北側入口に
境内には5基の道標 真念さんの標石
曼荼羅寺山門前に
山門を出て右へ向かう
少し坂となる
出釈迦寺への参道脇の道標
境内には奥ノ院を示す3基の道標
73番出釈迦寺(四国偏礼名所図会より)
捨身ケ岳
MAP(カシミール3Dにて作成)
(=^・^=)END
本山寺の東側、山門前には道標2基
裏門前の道標
北へ向かう
この先遍路道は二筋あり東側の道を行くと
遍路道から少し東の伊予街道近くに保管されている常夜燈型道標
西側の道のを進むと突き当りを右に行く所に
国道に出て北へ向かうその先を右の旧道に入る。少し行くと西側400m程の所にある忌部神社を示す道標
茂兵衛標石
道標が2基 弥谷寺まで85丁(9km)東へは徳島の箸蔵寺へ向かう道が延びているのだろう
旧道ではなく国道沿いにある道標
徳右衛門標石
茂兵衛標石 右に行くと金毘羅へ
三差路を左へ
この二基は先の三差路に在ったとものだろう
民家前の茂兵衛標石
道標と思われる角柱の石造物があるが刻字読み取れず
附近より移設された道標
三野町大見の十字路を右へ
宝暦9年(1759年)とかなり古い道標で表面が風化し隔離している
遍路道は真っすぐ 右へ行と鳥坂を経て丸亀へ
風化が激しい道標
旧県道にある道標 右に行くと善通寺
是より少しずつ登って行く
弥谷寺迄の丁数を示している(丁切地蔵)宝暦9年(1759年)お地蔵さんが多く残っている
すぐ先に徳右衛門標石 「曼荼羅寺へ25丁」
此の丁石は曼荼羅寺方面からを示す
仁王門前の4丁石で曼荼羅寺への道標も兼ねている
3丁石
2丁石
1丁石は鐘楼近くに移設されているようですが未確認
大師堂への登り階段脇の道標
護摩堂前に2基の道標
71番弥谷寺(遍禮名所図会より)
手持ちの弥谷寺一山之図
(=^・^=)END
68番琴弾神社から68番観音寺、70番本山寺間の道標・丁石
四国遍路道指南
琴弾八幡宮から西へ観音寺へ向かう下り口には2基の道標
階段を下り車道に出て象ヶ鼻の展望台に向かう道路脇には道標が在ったが現在は見当たらなくなっている
車道を下り右に入ると69番観音寺、と68番神恵院
四国遍禮名所図会
駐車場へ向かう途中にある道標 観音寺境内には西国33ヶ所のミニ霊場があり観音像が並んでいる
観音寺の仁王門を出て下る階段脇には徳右衛門標石と2基の道標
これより本山寺へ
豊田郡の写し西国三十三所を示す道標
染川橋の脇には照蓮標石
マルモ印刷前の道標
県道から右へ別れ小川を渡った先の道標
すぐ近くには「右遍ん路道 大水には左へ行」と記す文政六年の道標が在ったようだが行方不明となっている。財田川北を進む
財田川南側の71番へ向かう別の道沿いにある道標
本山寺橋南側の道標
本大交差点には二つに折れ放置されていた道標があったが現在は見当たらない
四国遍禮名所図会 70番本山寺
道標MAP(カシミール3Dにて作成)
(=^・^=)END
67番大興寺から68番琴弾八幡宮への遍路道には多くの丁切地蔵が残り真念標石、照蓮標石、中務茂兵衛標石も残っていますが徳右衛門標石は見当たりません。
大興寺本堂から仁王門に下る階段脇の道標
仁王門脇の道標
仁王門の先には3基の道標が並んでいます
この先、観音寺市池之尻町まで丁切地蔵が多く残っていて38丁石迄確認
3基の丁石が集められています
資料(山本の石仏探訪)によると七丁石が少し離れた墓地に又、菅生神社近くには移設された道標が在るようですが未確認です
国道沿いに丁石「小松尾寺まで八丁」と中務茂兵衛の標石
9丁石には年号が記されていている(明和4年 1767年)
やがて遍路道は右へ細い路地を通る
墓地の片隅には15丁
尚、この付近に在った真念標石は琴弾公園内の道の駅横にある郷土資料館に保管されていたが現在は大野原町にあるふるさと学芸館に展示されているようです
金神神社近くの真念標石 観音寺市内には5基と多くの真念標石が残っている
すぐ先に丁石と思われる地蔵
豊田小学校よこを過ぎた先の道標(一部手直しされている)
池之尻町の心光院前には3基の丁石が集められている
県道24号線を横切る手前には2基の道標と上部欠損の28丁石
奥に見えるのは移動した茂兵衛標石
中務茂兵衛の標石は少し移動している(写真は2009年 移動前)
現在の遍路道は左へ行くが江戸時代は直進していたと思われる
直進した先に残る古い道標
文化12年(1815)の31丁石
これより先には丁切地蔵は見られない 池之尻から大興寺迄38丁
照蓮標石は徳島県に72基、高知県には5基を確認していますが香川県には観音寺市の3基以外は無かったと思います
真念標石と茂兵衛標石 是より遍路道は二筋あり直進する道と右に折れ丸亀(伊予)街道を経て植田天満宮経由で琴弾へと向かう道がある
植田天満宮内には伊予街道沿いにあったと思われる植田の松を示す2基の道標
「道の駅ことひき」の横に移設保管されている道標
光明寺前の道標 奥に見えるのは照蓮標石で現在は少し移動している
照蓮標石
三架橋を渡ると少し北にある興昌寺一夜庵を示す標石がある
琴引き公園内の老人憩の家前には移設された道標 元は三架橋を渡る手前に在った
琴弾神社への階段の途中の玉垣には「妙見道」と示されている
脇に丁石
階段を登り切った所には真念標石
2024年11月15日追記
大興寺からの丁石 7丁石は墓地内に移設されている
遍路道から少し離れた菅原神社の参道脇の建屋の裏に4基の道標が置かれている
多くは遍路度沿いに在った道標と思われ1基は真念標石
菅原神社道標1
刻字から真念標石と思われる。横倒しで置かれており大切に保存してほしいものだ
菅原神社道標2
菅原神社道標3
菅原神社道標4
追加MAP
四国遍禮名所図会の琴弾八幡(別当神恵院) 現在の68番札所は観音寺内にある
68番への道標MAP(カシミール3Dにて作成)
白藤大師堂前には11丁石 粟井町内にはこの先、丁切地蔵が32丁まで続く
土佛庵(観音院)前の真念標石
この道標 元は少し手前の「67-66」の近くに在ったようです。県道から別れ右へと入る。
観音寺市新田町に入ると新たな丁石が始まり大興寺の1丁石迄続く
小さな峠を越える
道路工事で最初確認した時から少し移動している4丁石
道標と2丁石が並ぶ
大興寺へは名所図会にある雲辺寺道と示す所から入る。正面の手水脇に道標
大興寺の庫裡内には真念標石と外に道標1ヶが在るようだが確認していません
MAP67-06(カシミール3Dにて作成)
MAP67-07
MAP67-08
MAP67-09
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