四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

86番志度寺から87番長尾寺へ

86番志度寺から87番長尾寺間の道標・丁石

徳右エ門標石 志度寺より長尾寺迄1里半 現在歩くと7km程の道法

志度寺の庭園には真念標石が保管されている

遍路道と霊芝寺への道の分岐に在った道標が栗林公園内に移されている

県道3号線と272号線の交差点の道標

三叉路を右へ行く

玉泉寺前には2基の中務茂兵衛標石

87番奥ノ院玉泉寺

造田神社登り口の中務茂兵衛標石

県道37号線に出た所にある中務茂兵衛標石 是より右へ川沿いに行く

87-09の川向うにある道標

鴨部川沿いの道標 87-09の茂兵衛標石付近に在ったものだろう

遍路橋を渡る所には3基の道標が残る 旧遍路道は少し手前で川を渡っていた

今は通らない旧遍路道沿いにある中務茂兵衛標石

遍路道から現在の遍路道に出た所には文政7年の道標

明和3年(1766年)の道標

長尾寺駐車場脇の道標

長尾寺境内東門の道標

本坊膳所に在る道標

長尾寺本堂前の中務茂兵衛標石

87番長尾寺

讃岐国名所図会より

MAP87番(カシミール3Dにて作成)

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85番八栗寺から86番志度寺へ

85番八栗寺から86番志度寺間の道標・丁石

大師堂を案内

八栗寺から志度寺迄は50丁、今の遍路道を歩くと約7kmほどです。

八栗寺には88ヶ所のミニ霊場がある

右へ行くとケーブル乗り場

1丁石(文久2年 1962年)現在の徳島県石井町の人により建てられた。この先、同じ形の丁石がいくつか残る

しばらくは車道を進む

2丁石

摩滅してわかりずらいがへんろミちと記す (明和1年 1764年)土地の年配の人の話では子供の頃には遍路道造沿いの曲がり角所々に同様の地蔵が多く見られたとのこと。

3丁石 

4丁石 この先で昔の遍路道は左側山中へと入っていったが瓦、レンガ用の粘土の採掘で寸断され消滅している。

山中に残る八栗寺二の鳥居

地元の人の案内で山の中にポツンと残る10丁石を確認。他にも残っているかもしれない

遍路道は一旦現在の道に出るがこの道標の先で旧遍路道は再び左側の山中へ入っていた様です。道は一部消滅

現在の遍路道にある道標 六万寺へは右へ下る

遍路道を進むと山中に残る15丁石が在った。

この先の旧道は舗装道路となる。

17丁石

堤にある上部欠損の道標

丁石は18丁で終わっている。元の場所からは移動している これより東へ進む

右に折れる

塩釜神社境内の道標 付近より移設

愛染寺は海岸近くにあるがこれは平成時代に道路工事により立ち退き再建された寺。現在の讃岐一国88ヶ所には愛染寺はなく又、昭和2年設定なので古い時代の讃岐国88ヶ所か?

八栗寺から志度寺の間には両寺を案内する道標が多くみられる 志度の港から八栗寺へ行く人が多くいたのだろうか?又は逆遍路の為の道案内?

中務茂兵衛標石

西には多和神社がある

自然石の大きな石灯籠の脇にある道標。ここより右、南方に向かうと石鎚神社

石灯籠のすぐ横の道標(大正6年 1917年)

86番志度寺

MAP86番(カシミール3Dにて作成)

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84番屋島寺から85番八栗寺へ

84番屋島寺から85番八栗寺間の道標・丁石

屋島寺の徳右エ門標石 八栗寺迄1里

屋島寺からは血の池のを通る。その先、判りづらいが旧遍路道が残る。旧道の出口に道標(坂道8丁と記す) この先、道は急な下り坂となる

6丁石  急な坂道を下る

丁石は二種類あり享保11年の丁石は丁数が減じていき享保14年のものは増えていくようで八丁で終わっている

益田氏の標石 昭和初期に建てられており四国中に多くの標石が残る

6丁石

1丁石

大楽寺前の丁石 八丁 ?丁

佐藤次信の石碑前にある益田氏の道標

下りきった所を右に折れる。中務茂兵衛標石

菊王丸墓には3基の道標

地蔵堂には4基の道標

相引川を渡った先の小祠内に地蔵道標

洲崎寺塀脇に中務茂兵衛標石 右へ行く

佐藤次信の墓を案内する道標

遍路道から少し北にある道標 85番奥ノ院 竹居観音を案内

洲崎寺前の益田氏標石

洲崎寺境内には2基の道標

洲崎寺の先県道を横切り細い道に入る

右へ

左へ

道は少しづつ登ってゆく

八栗寺へ16丁

逆向きに立つ

左へ

右へ行く

うどん本陣 山田家前の道標

右へ

八栗寺への道には享保14年(1729年)の道標、丁石が多い

この形の角柱丁石は18丁から減じていき15丁、9丁、7丁、6丁、4丁、が残る昭和2年建立

鳥居脇にある7丁

5丁石 左右に道案内も記す

付近より牟礼大町方面から志度寺への道を示す

参道入口には道標が2基

現在の参詣道の北側に旧道があり。道に残る2丁石 道は通行困難

旧道に残る1丁石

八栗寺下の脇道にあり

祈り岩の近くからの遍路道の道標① 

祈り岩の近くからの遍路道の道標②

久通方面からの八栗道の道標

讃岐街道方面からの八栗道①

讃岐街道方面からの八栗道②

讃岐街道方面からの八栗道③

牟礼大町方面からの道の道標 天神(松井神社)

牟礼町内の道標は牟礼町教育委員会発行の「牟礼町の道しるべ」が詳しく書かれている

85番八栗寺

MAP85番

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83番一ノ宮から佛生山を経て84番屋島寺へ

83番一ノ宮寺から佛生山法然寺を経て84番屋島寺間の道標・丁石

山門を出て右(南)へ向かう 佛生山法然寺迄18丁

是より東へ向かう

県道280号線との交差点の小祠内には地蔵型道標 以前は少し南に在った

交差点を右折しすぐに左に小道がある。佛生山裏門道の道標。

現在は再建されたものが立つ

高松市立みんなの病院の南側を通り琴電を横切るが現在は通れない。この先で道は右へ折れる

すぐに左へ

150m程で右へ行く

是より東へ行くのが本道だが裏門より入った方が早く行ける(安永4年 1775年)

同所にもう一基の道標(明治23年

320m程の所に南進したところに道標

法然寺の裏門入り口の道標

法然寺を出たところ県道にある道標

ちぎり神社口の道標

左の屋島道に入る

これから先は昭和19年に陸軍の飛行場が建設されたことにより道は消滅している

上林町の共同墓地にある道標

大池近くの小さな墓地にある道標 道はこの先右へ

北に向かうと高松市

亀池堤を下り左へ行く

琴電を横切り木太天満宮手前には2基の地蔵型道標が有るB23の道標は「折れ地蔵」と呼ばれ元は屋島潟元にあったようで屋島寺へ20丁と記されている。この先で詰田川を渡り83番からの本道に合流する

 

MAP84B

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83番一ノ宮から84番屋島寺へ

83番一ノ宮寺から84番屋島寺間の道標・丁石

一ノ宮寺門前には3基の道標(北へ向かうと屋島寺へは3里の道法、南に向かうと佛生山へ18丁)法然寺(佛生山)経由で屋島寺へ向かう人も多くいたようです

2基の道標が並ぶ 遍路道は右の細い道

水路脇の手差し道標

この先の遍路道には多くの手差し道標が見られる

光臨寺境内の道標

右の路地が旧遍路道

野田池の東側の道標

野田池の西側の道標

他にも指差し道標が有ったようだ見られなくなっている

琴電の踏切を渡り右へ向かう

三叉路を右へ

春日川橋を渡る

屋島寺は是より左へ向かう

潟元には道標、丁石4基が集められている

付近には一ノ宮を示す道標がいくつかある

池の脇に移設されている丁石(享保11年銘 1726年)

これは高松からの道筋にある道標

この先丁石が続く、5丁石は現在見当たらない

未確認だが高松方面からの道が付近にあるのだろう

気が付かなかったが付近にも分岐道があるようだ

不喰梨(くわずなし)

屋島寺の入り口に徳右エ門標石 八栗寺へ1里

四天門脇の道標 八栗寺へ35丁 一ノ宮寺へ150丁

84番屋島寺

MAP84番

 

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82番から80番を経て83番一ノ宮へ

82番根香寺から80番を経て83番間の道標・丁石

来た道を戻りこれより国分寺へ下ってゆく。

山道を下ってきた所に道標

遍路道から少し東の民家内に倒れて置かれている

国分寺敷地が見える

国分寺敷地の北側にあり

MAP82-80(カシミール3Dにて作成)

国分寺門前の道標 80番国分寺から83番一ノ宮へ75丁 

南に7km程行くと滝宮神社

県道183号線との交差点には2ケの道標 少し南には82番奥ノ院鷲峰寺がある

道路脇に少し埋まっている

香東川に架かる円座橋の西にある 水鉢の道標(新しいものが地蔵前に在る)

円座橋を渡った先の再建?された道標 右へ行く

道標が2基

左の細道に入る

これは別の遍路道にある

路地を進む 手差しの道標

是より右に入ると一ノ宮寺

金毘羅街道の道標

一ノ宮寺の西門を入ると左におかれている 付近より移設

MAP80-83(カシミール3Dにて作成)

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82番根香寺から83番一ノ宮寺へ

82番根香寺から83番一ノ宮寺間の道標・丁石

83番へは二里半の道法

82番根香寺から来た道を少し戻りそれより一ノ宮へ向かって下って行くが一部遍路旧道は通れなくなっている

地蔵光背の丁石も少し残る

赤子谷の墓地には移設された2基の丁切地蔵

今は通らない旧道に残る道標

他にも丁石が残っているようだが不明

丁石は45丁迄を確認

墓地前にある道標 一ノ宮迄67丁と半端な数字であるがどういう経緯で建てられたのだろうか

遍路道は路地を入っていく

道端大師堂内の台石型の道標 寛延4年(1751年)

延享2年(1745年)の道標

本道と違う道筋の道標

これより右へ 一ノ宮へ35丁

これも延享2年(1745年)

道標が2基 一ノ宮へ32丁

四又地蔵 延享3年(1746年)の道標「一ノ宮へ1里」「根香寺へ1里半」

 

墓地脇の埋もれている道標

一ノ宮へ28丁この先香東川を渡る

遍路道から少し離れた所にある真念標石

真念標石横の道標

2基の道標が並ぶ

以前は県道脇にあった 宝暦8年(1758年)の道標

県道脇の道標 一部再建されている

2基の明治時代の道標

生垣に倒れている道標

左側の道を行く

瀬戸内海歴史資料館に保管されている丁石

83番一ノ宮寺

MAP83番