四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

34番種間寺から35番清瀧寺へ

34番種間寺から35番清瀧寺迄の道標・丁石

「四国偏礼道指南」より抜粋
 是よりきよたきへ二里 もりやま村 ひろおか村 此間二淀川といふ大河有。

 舟わたし、・・・荷物を高4おか町にをき札所へゆきてよし。

江戸末期の道中日記では高岡七十五丁 清滝寺廿五丁
明治末の案内記では二里十六丁(旧二里)

現在歩くと9.6kmの道法です

 

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 道標の一部と思われ逆さに置いてある

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 元は地蔵の台石だと思われる道標

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仁淀川の堤防前に

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石垣に埋め込まれた道標

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仁淀川を渡った先には郡界石が有った様だが見当たらなっか

高岡には幾つかの道標

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道中日記等では高岡に荷物を預けて寺へ行くとあったが私も高岡のホテルに泊まり朝食前に参拝してきました

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三島神社脇に

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昭和初期の栗田修三氏による道標は四国各県に計9基確認してます。

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寺への登り口に在る道標

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これより先には舟形地蔵の丁石が幾つか残り従是▢丁と表示されています

坂道は8丁ですが7丁石から在りました

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これまでの車道から別れ左へコンクリート舗装の歩道を登ります

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栗田修三氏の道標

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この先の階段を登りきった所に徳右衛門標石が在ります。

寺には他に3基の道標が在るようだが確認出来なかった

35番清瀧寺

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清滝寺絵図(四国偏礼名所図会)

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MAP35-1(カシミール3Dにて作成)

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MAP35-2

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MAP35-3

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33番雪蹊寺から34番種間寺へ

33番雪蹊寺(高福寺)から34番種間寺迄の道標・丁石

「四国偏礼道指南」より抜粋
是よりたねま寺迄二里
小はし、小坂あり、東もろき村。西もろき村。山きわにしるし
石あり。次に川わたり有。川の瀬を所の人に たづねてよし

大水の時ハ川上に舟わたし あり。吾川郡あきやま村

江戸末期の道中日記では種間寺百丁
明治末の案内記では一里二十八丁(旧二里)

現在歩くと6.5kmの道法です

寺からは川沿いに西へ進み唐戸を過ぎ緩やかな坂を越えて東諸木に

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西諸木の道標1

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 西諸木の道標2,3

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 西諸木の道標4

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川を渡り秋山の山際には上部が欠けている道標が置いてあったが

現在は種間寺に在るようです

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種間寺境内にはいくつかの道標が置かれているが私が確認した時は3基の道標が

倒れた状態で置かれいました

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高知県の歴史の道調査報告書によると境内には他にもう1基、計7基の道標が有るようです

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MAP34-1(カシミール3Dにて作成)

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MAP34-2

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32番禅師峰寺から33番雪蹊寺へ

32番禅師峰寺から33番雪蹊寺へ間の道標・丁石

道指南では33番迄1里半の道法

現在歩くと種崎まで6kmで渡船に乗り御畳瀬(みませ)経由で1.8kmです。

嘉永7年)の道中日記には
種島浦五十四丁 入海八丁渡し三文 みませわたし 高福寺十八丁

 

本堂前の岩のまわりに石造物がありその中に舟形地蔵の1丁石

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寺から下る道には2基の舟形丁石が残る

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麓より西へ向かい500m程の所に

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この先の新道沿いには2基の道標

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`歴史の道調査報告書によると仁井田の個人宅に天保11年の道標が保管されているようです。他に中務茂兵衛の道標が有ったが失われている。

種崎からは無料の渡船を利用し御畳瀬より民家が続く道を進むと小屋の中に

徳右衛門標石 「雪蹊寺へ十一丁」

めづらしく梵字ではなく漢字で「阿」と刻字

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雪蹊寺の門前の標柱

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四国偏礼名所図会の寺絵図(高福寺)

雪蹊寺は江戸時代には高福寺と呼ばれることの方が多い

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MAP33-1(カシミール3Dにて作成)

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31番五台山竹林寺から32番禅師峰寺へ

31番五台山竹林寺から32番禅師峰寺間の道標・丁石

32番禅師峰寺は峯寺とも呼ばれ案内記では1里半の道法

現在歩くと5.8km程の距離です

 

竹林寺より南へ下ってすぐの所、高知方面からの登ってくる道と32番へ向かう道の分岐には徳右衛門標石 「峯寺迄一里半」

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道を下って行くと舟形丁石が一基だけ在ります。

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麓近くの常夜灯の脇に倒れている

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五台山小学校横には鉄材で補強されている中務茂兵衛の道標

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これより下田川沿いの県道247号線を東へ進むと民家前に倒れて置かれている道標

この道標も幸い残されてはいるがきっちりと保存、管理してほしいものです。

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昔は船で渡っていたが今は遍路橋を渡り下田川の南岸を東へ進む。

南国市稲生からは南へ向かい上り坂(下田坂)となり大師堂を過ぎて峠手前には

2基の道標があり1つは県道沿いに

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もう一つは利用されなくなった旧道にある

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これより先、峠付近からは宅地開発等で遍路道は消滅しています。

高知県歴史の道調査報告書」には十市緑ヶ丘に「右へんろ道」と記す道標が有るようだが見当たらなかった。

そして十市小学校の先から旧道が残り寺へ登って行く。

登り口には竹林寺への道沿いに在るものと同じ施主による大正年間の道標

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 是より寺迄、丁石が有った様だが現在は寺の駐車場脇からの登り口階段沿いに置かれている。

山道を登って行くと

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やがて道は車道となり寺の駐車場入り口に石造物が集められており

その中に幾つかの道標が見られる。

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距離からすると十市に在ったと思われる道標。

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善師峰寺の駐車場から寺へ登る階段口に

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階段を上り寺へ向かう途中には麓からの道にあった8~1丁の丁石が並んでいる

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本堂の手前には下向道の1丁石

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32番禅師峰寺ぜんじぶじ)峰寺とも言う

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四国偏礼名所図会の寺絵図

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 MAP32-1(カシミール3Dにて作成)

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MAP32-2

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MAP32-3

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30番一ノ宮(善楽寺)から31番竹林寺へ

30番一ノ宮(善楽寺)から31番竹林寺迄の道標・丁石

30番から31番五台山(竹林寺)へは直接行くと1里で

七十五丁と記す道中日記もあります。

現在の道を歩くと五台山麓迄約6kmで登りは1km程です。

多くは高知城下を経由して31番へ向かっていたようです。

道指南では高知城下経由の道を示していて2里とある。

 

 善楽寺内の道標

この道標のことが山口県文書館にてWEB公開されている文政5年の道中日記に書かれている。

http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/kouza-kaidoku/H26g-01.pdf

道中日記には

 「一之宮 一里半 本尊阿弥陀如来 参詣、宣敷宮居也、はば長し、茶屋二軒あり。夫より鳥井元まで出ると記石あり、右遍路道、左り城下道と有、但城下へ出る時ハ範囲半道計りの廻りニ成と申・・・・・」

元は土佐神社の参道口付近に在ったと思われる鳥居の脇に在ったと考えらる。

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土佐神社の入口県道384号線の交差点に

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高知城下を経由せずに直接32番へ向かう道筋の道標・丁石

 土佐神社を出てしばらく南方に進み土佐一ノ宮駅の東を通り国分川を渡った先に2基の道標

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土佐電鉄を越えて大島橋を渡った先に照蓮の標石

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高須大島の今は通れないが五台山への登り口に

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この先の旧遍路道は土砂が崩れる等で通るのは難しくこのまま進み少し先で山に入ります。

寺へ向かう旧道沿いにはいくつかの丁石が残っています。

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上部が欠損している丁石

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墓地の中を通る遍路道

是も上部が欠損している

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牧野植物園内に入り道を下って行くと

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すぐ横に1丁石

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植物園内を通りすぎると31番札所五台山竹林寺

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四国偏礼名所図会の絵図

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MAP31-1(カシミール3Dにて作成)

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MAP31-2

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29番国分寺から30番一ノ宮(善楽寺)へ

29番国分寺から30番一ノ宮(善楽寺)間の遍路道に残る道標・丁石

国分寺より一ノ宮(善楽寺)迄は案内記等では1里半の道法

75丁と書かれている道中日記もあります。

現在歩くと約7km程の距離です。

 

国分寺境内山門を入ってすぐ左には徳右衛門標石が有り

「一ノ宮へ 壱里半」 一部追刻されています。

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境内の左奥、大師堂横の石造物群の中には元禄2年(1689)の道標

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寺を西に出て田圃を通る旧道には施主が同じであるの2基の道標が残る。

少し先の笠ノ川川は橋が無く渡ることが出来ない為に迂回を通り八幡へ向う。

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八幡の三差路には中務茂兵衛の道標

この先、定林寺から滝本を通り一ノ宮へ向かうのであるが明治の廃仏毀釈善楽寺は廃寺となり昭和5年に寺が現在地に再興されるまでは高知市内の安楽寺で納経を行っていた。

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この先滝本迄の旧道は殆ど消滅している。県道384号線を進みますが途中「一ノ宮へ壱里」の道標が個人宅に保管されているようです。

滝本からは少し登り道となり逢坂峠を越へて一ノ宮へ

下り道の途中からは旧道は消滅しています。

30番善楽寺に入って右側の一角に道標等が集められていています。

真っすぐ31番へ向かう道と高知城下を通る道の分岐点に在ったと思われる道標

この道標思われることが文政五年の道中日記(山口県文書館蔵)に記載が有り

 

△一之宮 一里半 本尊阿弥陀如来 参詣、宜敷宮居也。はば長し、茶屋二軒あり、夫より鳥井元まで出ると記石あり、右遍路道、左り城下道と有、但城下へ出る時ハ半道計りの廻りニ成と申事・・・」

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そして付近に在ったと思われる益田喜一の標石が多く置かれています。

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四国遍路図会の絵図 31番一ノ宮

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本来の札所は一ノ宮神社の神宮寺であったが廃仏毀釈のため明治4年に廃寺となり29番国分寺に合併されていたがその後、明治9年より高知市内の安楽寺にて納経していた。

昭和5年には現在の札所である善楽寺が再興されている。

明治31年の納経帳

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 安楽寺を通る道には中務茂兵衛の道標が幾つか残っています。

MAP31-1(カシミール3Dにて作成)

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MAP31-2

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MAP31-3

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28番大日寺から29番国分寺へ

28番大日寺から29番国分寺間の遍路道に残る道標・丁石

案内記等では大日寺より国分寺へ一里半の道法

現在の道を歩くと9km程の距離です。

 UPしている写真は少し以前撮影したもので現在は少し変わっているかもしれません。

 

大日寺からは来た道を戻る。下り階段途中に徳右衛門標石

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坂を下った所はバス専用の駐車場で入口には前回紹介した大日寺への道標

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父養寺(ぶようじ)の十字路に倒れている自然石の道標

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父養寺から県道234線に出て北へ行き、水路脇アのジサイの袂に置かれている

安永6年(1777)の道標

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この先の旧道は消滅していています。物部川近くには「是遍路」と記す天明5年の標石があり

この附近で川を渡っていたようです

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物部川は安永年間の道中日記にはかち渡りと書かれていて歩いて渡っていたが寛政年間には渡船が有った。現在は戸坂島橋を渡る。橋を渡った先左には

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橋の少し下流に在ったと思われる渡場付近の堤防道路の斜面には、今は人目に触れる事のない道標

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戸坂島の出口曲がり角には宝暦14年(1764)の道標

これより西へ進む

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次に300m程の立石公民館横に

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西へ進み土佐山田町松本の小川を渡った先には上部欠損の真念標石

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次に60m程、左に曲がる所に明和6年(1769)の道標

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 次に右に折れる所にも真念標石

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 松本大師堂前を通ると田畑が広がり左に折れる所に2基の道標

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 道なりに進み左に曲がる所に明治時代の道標、以前は道の向かいに有った。

刻字に周防国大嶋郡とあり中務茂兵衛と何らかの関係がある人なのかも知れません。

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 これより左へ町道を進んで行きJR土讃線の手前水路脇には2基の道標

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 この先の道はは少し北に踏切が有、迂回して進む。遍路道はこの先の県道45号線を右に折れるのですが此処に2基の道標、写真左側に頭だけ見える道標は掘り出されて右の道標と並んで置かれている模様です。

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 北に進み遍路石の地名が残る所には中務茂兵衛の道標(縦に割れている)

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遍路石交差点を左へ曲がり50m程で右に細い路地があり入口に元文3年(1738)の道標

この先、農道を通り再び県道へ出る道が有りこれが古い遍路道と思われる。

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廿枝(はたえだ)付近の旧道は消滅していて西島園芸団地の西側を通っていたと思われる。今の遍路道で国分川を渡った先に中務茂兵衛の道標

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 国分寺の手前に

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 29番札所国分寺

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国分寺境内には国分寺を示す道標が有るようだが確認出来なかった。

境内には他に2基道標が有ります。これは次回紹介します。

MAP29-1(カシミール3Dにて作成)

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MAP29-2

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MAP29-3

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MAP29-4

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