四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

28番大日寺から29番国分寺へ

28番大日寺から29番国分寺間の遍路道に残る道標・丁石

案内記等では大日寺より国分寺へ一里半の道法

現在の道を歩くと9km程の距離です。

 UPしている写真は少し以前撮影したもので現在は少し変わっているかもしれません。

 

大日寺からは来た道を戻る。下り階段途中に徳右衛門標石

f:id:hyamatyan:20201001102827j:plain
f:id:hyamatyan:20201001102832j:plain

坂を下った所はバス専用の駐車場で入口には前回紹介した大日寺への道標

f:id:hyamatyan:20201001102815j:plain
f:id:hyamatyan:20201001102821j:plain

父養寺(ぶようじ)の十字路に倒れている自然石の道標

f:id:hyamatyan:20201001102838j:plain
f:id:hyamatyan:20201001102845j:plain

父養寺から県道234線に出て北へ行き、水路脇アのジサイの袂に置かれている

安永6年(1777)の道標

f:id:hyamatyan:20201001102852j:plain
f:id:hyamatyan:20201001102858j:plain

この先の旧道は消滅していています。物部川近くには「是遍路」と記す天明5年の標石があり

この附近で川を渡っていたようです

f:id:hyamatyan:20201001102904j:plain
f:id:hyamatyan:20201001102910j:plain

物部川は安永年間の道中日記にはかち渡りと書かれていて歩いて渡っていたが寛政年間には渡船が有った。現在は戸坂島橋を渡る。橋を渡った先左には

f:id:hyamatyan:20201001102916j:plain
f:id:hyamatyan:20201001102922j:plain

橋の少し下流に在ったと思われる渡場付近の堤防道路の斜面には、今は人目に触れる事のない道標

f:id:hyamatyan:20201001102928j:plain
f:id:hyamatyan:20201003112306j:plain

戸坂島の出口曲がり角には宝暦14年(1764)の道標

これより西へ進む

f:id:hyamatyan:20201001102939j:plain
f:id:hyamatyan:20201001102945j:plain

次に300m程の立石公民館横に

f:id:hyamatyan:20201001102950j:plain
f:id:hyamatyan:20201001102956j:plain

西へ進み土佐山田町松本の小川を渡った先には上部欠損の真念標石

f:id:hyamatyan:20201001103002j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103008j:plain

次に60m程、左に曲がる所に明和6年(1769)の道標

f:id:hyamatyan:20201001103015j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103022j:plain

 次に右に折れる所にも真念標石

f:id:hyamatyan:20201001103028j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103035j:plain

 松本大師堂前を通ると田畑が広がり左に折れる所に2基の道標

f:id:hyamatyan:20201001103042j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103049j:plain

 道なりに進み左に曲がる所に明治時代の道標、以前は道の向かいに有った。

刻字に周防国大嶋郡とあり中務茂兵衛と何らかの関係がある人なのかも知れません。

f:id:hyamatyan:20201001103056j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103102j:plain

 これより左へ町道を進んで行きJR土讃線の手前水路脇には2基の道標

f:id:hyamatyan:20201001103116j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103108j:plain

 この先の道はは少し北に踏切が有、迂回して進む。遍路道はこの先の県道45号線を右に折れるのですが此処に2基の道標、写真左側に頭だけ見える道標は掘り出されて右の道標と並んで置かれている模様です。

f:id:hyamatyan:20201001103124j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103130j:plain

 北に進み遍路石の地名が残る所には中務茂兵衛の道標(縦に割れている)

f:id:hyamatyan:20201001103142j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103136j:plain

遍路石交差点を左へ曲がり50m程で右に細い路地があり入口に元文3年(1738)の道標

この先、農道を通り再び県道へ出る道が有りこれが古い遍路道と思われる。

f:id:hyamatyan:20201001103149j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103156j:plain

廿枝(はたえだ)付近の旧道は消滅していて西島園芸団地の西側を通っていたと思われる。今の遍路道で国分川を渡った先に中務茂兵衛の道標

f:id:hyamatyan:20201001103202j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103208j:plain

 国分寺の手前に

f:id:hyamatyan:20201001103221j:plain
f:id:hyamatyan:20201001103215j:plain

 29番札所国分寺

f:id:hyamatyan:20201001103228j:plain

 

f:id:hyamatyan:20201003123533j:plain

国分寺境内には国分寺を示す道標が有るようだが確認出来なかった。

境内には他に2基道標が有ります。これは次回紹介します。

MAP29-1(カシミール3Dにて作成)

f:id:hyamatyan:20201001103234j:plain

MAP29-2

f:id:hyamatyan:20201001103239j:plain

MAP29-3

f:id:hyamatyan:20201003120212j:plain

MAP29-4

f:id:hyamatyan:20201001103250j:plain

(=^・^=)END

27番神峯寺より28番大日寺へ

27番神峯寺より28番大日寺間の道標・丁石

神峯寺からは来た道を唐浜まで戻り西へ遍路道を進むと国道と合流する所に

f:id:hyamatyan:20200926223702j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223709j:plain

 尚、此処までに中務茂兵衛の道標が有った様ですが無くなっています。

暫くの間は道標等は見当たらず安芸、和食と過ぎ手結手前で少し山道となり手結港に下った先、国道を横切る所に手差の道標

f:id:hyamatyan:20200926223714j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223720j:plain

赤岡からはこれまでの海沿いの道を離れて北向きに進む

f:id:hyamatyan:20200926223726j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223732j:plain

左へ折れる所に2基の道標、一つは寛政8年(1796)の道標で大日寺迄40丁とあり、ここから現在の道を歩くと大日寺迄は4.7km程です。もう1基は高知県内には4基残る照蓮標石の一つ

f:id:hyamatyan:20200926223737j:plain
f:id:hyamatyan:20200927101736j:plain

香南市野市町東野(馬袋)の照蓮標石 文化12年(1815)

現在は少し手前に移動しています。写真は2009年

f:id:hyamatyan:20200926223749j:plain
f:id:hyamatyan:20200927103636j:plain

野市の曲がり角には付近より移動されている道標

f:id:hyamatyan:20200926223802j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223808j:plain

昭和7年の背丈の高い道標(現在見当たらない)写真は2007年

「28番へ18丁」

f:id:hyamatyan:20200926223820j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223813j:plain

ここより北へ切石山中腹にかつてあった臨済宗宝鏡山吉祥寺を示す道標

f:id:hyamatyan:20200926223827j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223834j:plain

横には照蓮標石

f:id:hyamatyan:20200926223841j:plain

鳥川の東、山際の旧道に残る道標・丁石

f:id:hyamatyan:20200926223847j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223853j:plain

山裾の旧道から車道に出て

f:id:hyamatyan:20200926223858j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223906j:plain

次に右へ旧道に入り

f:id:hyamatyan:20200926223911j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223918j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223924j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223932j:plain

大日寺への登り口には徳右衛門標石 寛政9年(1797)

f:id:hyamatyan:20200926224018j:plain
f:id:hyamatyan:20200926224024j:plain

坂道を登る途中にある道標

この道標、2004年に歩いた時は少し下の階段横にあった

f:id:hyamatyan:20200926223938j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223944j:plain

1丁石

f:id:hyamatyan:20200926223950j:plain
f:id:hyamatyan:20200926223956j:plain

大日寺から下った所にある道標

f:id:hyamatyan:20200926224004j:plain
f:id:hyamatyan:20200926224011j:plain

28番大日寺

f:id:hyamatyan:20200927112330j:plain

MAP28-1(カシミール3Dにて作成)

f:id:hyamatyan:20200927112543j:plain

MAP28-2

f:id:hyamatyan:20200927112547j:plain

MAP28-3

f:id:hyamatyan:20200927112550j:plain

MAP28-4

f:id:hyamatyan:20200927112554j:plain

MAP28-5

f:id:hyamatyan:20200927112558j:plain

MAP28-6

f:id:hyamatyan:20200927112602j:plain

(=^・^=)END

























唐浜から27番神峰寺へ

唐浜から27番神峰寺迄の道標・丁石

道中日記には「とうのはま村 是より丁切(丁石)有。卅八丁、廿八丁目庵(養心庵)ニ荷物預ケ置。十五丁目より登り急也」

唐浜からの登り道は神社鳥居横の車道ではなくの西側の道付近を登っていた様です。途中で旧道は消滅していて通ることが出来ないが途中には養心庵跡近くに大正時代の丁石が見られる。

f:id:hyamatyan:20200921093557j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093604j:plain

鳥居横の川沿いの道を進むと左側に上部欠損の舟形丁石(たぶん29丁石)、横の上部欠損の地蔵も丁石だと思われます。この先の丁石はすべて舟形で丁数は減じていきます。

f:id:hyamatyan:20200921093609j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093615j:plain

谷川を渡り登り道となり右側に風化が進み丁数不明の丁石

f:id:hyamatyan:20200921093629j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093623j:plain

この先、神峯寺への車道沿いに幾つかの丁石の多くには阿刕那賀郡中嶋の人に依るものです。22丁石

f:id:hyamatyan:20200921093636j:plain
f:id:hyamatyan:20200921095208j:plain

上部欠損の丁石(21丁石?)

f:id:hyamatyan:20200921093653j:plain
f:id:hyamatyan:20200921095536j:plain

順番がおかしい 23丁石

 

f:id:hyamatyan:20200921093659j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093705j:plain

上部が剥離欠損の丁石(20丁石?)

f:id:hyamatyan:20200921093711j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093718j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093724j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093730j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093740j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093735j:plain

車道から別れ左に山道を登って行く分岐には道標1基と4基の丁石が集められています。

3基の舟形丁石はいづれも上部が欠損しており丁数は不明。

f:id:hyamatyan:20200921093754j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093747j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093800j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093806j:plain

是より道は急となりいくつか車道をショートカットしながら登って行きます

f:id:hyamatyan:20200921093819j:plain
f:id:hyamatyan:20200926204206j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093825j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093831j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093838j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093844j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093850j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093856j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093902j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093908j:plain

山門前に

f:id:hyamatyan:20200921093914j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093920j:plain

神峯寺山門前より神峯神社への登り口に

f:id:hyamatyan:20200921093925j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093932j:plain

神峯神社の少し手前に上下欠損の丁石

f:id:hyamatyan:20200921093937j:plain
f:id:hyamatyan:20200921093943j:plain

神峯神社は元の27札所が有った場所です。

f:id:hyamatyan:20200921093949j:plain

四国偏礼名所図会の神峯寺

f:id:hyamatyan:20200921112048j:plain

神社から真っすぐ下ると現在の27番神峯寺へ出れます。

f:id:hyamatyan:20200921114359j:plain

MAP27-6(カシミール3Dにて作成)

f:id:hyamatyan:20200921112745j:plain

MAP27-7

f:id:hyamatyan:20200921112241j:plain

(=^・^=)END













 

 

26番西寺(金剛頂寺)から27番神峯寺へ1(唐浜迄)

26番西寺(金剛頂寺)から27番神峯寺間の道標・丁石1

参考文献には

 ①澄禅 遍路日記 「神峯、麓ノ濱より峯へ上ル事五十丁一里也」

 ②真念 四国遍路道指南「是よりかうのミねじ迄七里

            ○たうのはま、かうの峯まで坂、ふもとにやうしん庵

            荷物をここにおき札じまひよし」

 ③道中日記(安永七年)「一 西寺より 吉良川へ壱り斗

            一 吉良川より田の浦へ 三里

            一 田の浦より かうの峯へ 三里

            とうのはま村 是より丁切(丁石)有。卅八丁 

            廿八丁目庵ニ荷物預ケ置、十五町目より登り急也」

 

仁王門前には徳右衛門標石 「神峯迄 六里」

案内記などでは寺迄7里とあり元は少し先に在ったのかとも思いましたが

四国中道筋日記」文化二年には

  此所(寺)より道しるべ(四国偏礼道指南)には七りと有。

  御庭の立石には六りと有。

と書かれていて昔から場所は変わっていないようです。

古い時代には道筋が違っていたのだろうかしかし一里の差は大きいので26番からは来た道を戻り海岸沿いを進んだのだのか。又はこの先に在る徳右衛門標石には麓迄の里程を示しているものが有ることから麓迄の距離とも考えられ、これだとつじつまが合う

f:id:hyamatyan:20200916215016j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215023j:plain

西寺の西側出口付近には坂元へ8丁の丁石が在るが麓迄は旧道と思われる道を歩くと1.6kmほどある。

明治から大正にかけて出版された案内記「四国遍路 同行二人」には

 次へ七里十四丁余(旧七里)打抜け右へ八丁(実際は十四丁もあらんか)

f:id:hyamatyan:20200916215033j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215028j:plain

すぐ先の本坊への分岐に道標が有り分岐を左へ行くと本坊がある。遍路道はまっすぐ進む。

f:id:hyamatyan:20200916215047j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215039j:plain

少し進み分岐を右に折れ西向きに行く所に道標と丁石と思われる舟形地蔵がありこれが遍路本道で。南へ向かうと海岸沿いにある女人堂へ行くことが出来る。

f:id:hyamatyan:20200916215054j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215100j:plain

次に4丁石

f:id:hyamatyan:20200916215115j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215123j:plain

次に

f:id:hyamatyan:20200916215129j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215133j:plain

やがて下りの山道となり幾つかの丁石が残る

f:id:hyamatyan:20200916215145j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215139j:plain

慶応9年の道祖神を過ぎて上部欠損の丁石

f:id:hyamatyan:20200916215156j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215151j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215207j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215202j:plain

やがて海岸沿い出て海岸近くの道をしばらく歩き吉良川、羽根と過ぎて西の浜には徳右衛門標石が在り「神峯麓へ三里半」

f:id:hyamatyan:20200916215218j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215213j:plain

この先、中山の台地へ登りこれを下ると加領郷でこの先、奈半利迄は殆ど国道を進む。

奈半利に入る手前の右に折れる所に二つに折れている徳右衛門標石と手差しの道標

f:id:hyamatyan:20200916215224j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215229j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215238j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215244j:plain

奈半利川を渡った先、田野町の入口には四国中に幾つかの標石を設置している、川の屋政吉の道標がある。特徴は手を開いている手差しの道標で数多く残っていて名前を刻んでる道標及び標石は5基残っています。

f:id:hyamatyan:20200916215256j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215251j:plain

田野町を過ぎ安田川を渡り安田町、江戸時代には安田小学校西に在った常行寺(廃寺)で神峯の納経を行っていたようで。

享和2年の四国遍路道中日記(平野作左衛門)には

 「二十七番竹林山 神峯寺 坂けハし、堂斗りにて寺なし

  納経は安田浦の寺にて取ル」とあり

一部の納経帳に別當常行寺とあります。

f:id:hyamatyan:20200917203724j:plain

安田町の出口で土佐街道から別れ右に入る所に中務茂兵衛の道標

f:id:hyamatyan:20200916215309j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215302j:plain

そして川を渡り右へ、ごめん・なはり線下を通った先に鳥居が有。周辺に幾つかの道標が集められている。打戻りと云い是より神峯寺迄行ってここへ戻ってくる。

2009年時の写真

f:id:hyamatyan:20200916215326j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215337j:plain

2001年時の写真

f:id:hyamatyan:20200916215316j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215343j:plain

2018年時の写真

f:id:hyamatyan:20200916215332j:plain
f:id:hyamatyan:20200916215349j:plain

是より神峯寺迄3.4km程で元の札所が有った神峯神社へはさらに400m程登ります。

尚、唐浜には中務茂兵衛の「神峯道 これより三十五丁あまり」と記す道標が有った様ですが見当たりませんでした

MAP27-1~5(カシミール3Dにて作成)

f:id:hyamatyan:20200916220734j:plain

f:id:hyamatyan:20200916220713j:plain

f:id:hyamatyan:20200916220719j:plain

f:id:hyamatyan:20200916220725j:plain

f:id:hyamatyan:20200916220729j:plain
(=^・^=)END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24番本東寺(最御崎寺)から26番西寺(金剛頂寺)へ

24番本東寺(最御崎寺)から25番津寺(津照寺)間の道標・丁石

案内記等では東寺から西寺迄一里

現在の遍路道を歩くと6.7km程です

 

東寺境内、大師堂の横には徳右衛門標石 「津寺迄一里」

f:id:hyamatyan:20200907220356j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220350j:plain

境内から少し下り県道に出た所、寺への入口横に

f:id:hyamatyan:20200907220409j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220415j:plain

これより海辺に下る旧道は殆ど消滅していて見晴らしの良い室戸スカイライン(県道203号線)を下って行きます。

f:id:hyamatyan:20200905165258j:plain

下って市道を右へ少し行くと寺から下ってきた旧道の一部が残っていてその出口に大正3年の道標

f:id:hyamatyan:20200907220422j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220428j:plain

次に津呂の港に出た所、大きな室戸港碑や道路元標と並んで道標

f:id:hyamatyan:20200907220435j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220440j:plain

室津港の前、大師像台座に[札所 廿五番津寺」とある石碑から右に入り石段を登ると

f:id:hyamatyan:20200908153912j:plain

25番 津寺(つでら)[津照寺(しんしょうじ)]です。

f:id:hyamatyan:20200907220446j:plain

MAP25-1、2(カシミール3Dにて作成)

f:id:hyamatyan:20200908154540j:plain

f:id:hyamatyan:20200908154552j:plain

25番津寺(津照寺)から26番西寺(金剛頂寺)へ

案内記では西寺迄一里とあるが三十丁とする道中日記もある

 現在歩くと凡そ3.8kmです。

通って来た津寺入口には徳右衛門標石 「西寺迄一里」

f:id:hyamatyan:20200907220552j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220559j:plain

両栄橋手前の路地の角に

f:id:hyamatyan:20200907220609j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220604j:plain

浮津を過ぎてやがて室戸市元には記年銘のある道標では四国遍路最古の貞享2年(1685)の道標

この標石は案内記、道中日記などに書かれていて西寺へ向かう道と海岸沿い道の分岐にあり西寺は女人禁制の為、女性は海岸沿いに行くことになる。

f:id:hyamatyan:20200907220619j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220625j:plain

現在の遍路道の西寺へ向かう道の分岐に伊藤万蔵さんの道標

伊藤萬蔵さんは名古屋の人で日本各地に多くの石造物を寄進している人で四国には明治27年から色んな石造物を設置していて特に殆どの札所に線香立てを寄進されています。

f:id:hyamatyan:20200907220631j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220639j:plain

少し行くと旧道に入り北西向きに進み登り口途中には

浜に出るとの刻字があり先の結界石と同じで付近より左へ海岸沿いの道を示すのだろうか

f:id:hyamatyan:20200907220653j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220647j:plain

少し登ると四丁石 

願主の川村喜与次とは少し手前に墓がある川村与惣太と関係がある人だろう

f:id:hyamatyan:20200907220659j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220706j:plain

与惣太の墓

f:id:hyamatyan:20200908162535j:plain
f:id:hyamatyan:20200908162541j:plain

山道となり5、7丁石

f:id:hyamatyan:20200907220712j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220718j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220725j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220731j:plain

やがて駐車場横に出る。寺への登りの石段手前に、これも西寺は女人禁制を示す道標

f:id:hyamatyan:20200907220743j:plain
f:id:hyamatyan:20200907220736j:plain

石段を登り仁王門前には27番へを示す徳右衛門標石があり横に8丁石

f:id:hyamatyan:20200907220748j:plain
f:id:hyamatyan:20200909131801j:plain

26番西寺(金剛頂寺

f:id:hyamatyan:20200907220803j:plain

MAP26-1、2

f:id:hyamatyan:20200908154647j:plain

f:id:hyamatyan:20200908154711j:plain

(=^・^=)END











 

 

 

 

23番薬王寺から24番東寺へ2

23番薬王寺から24番東寺間の道標・丁石2

甲浦白浜から生見迄の山越のルートはいくつかあったようですがどのルートも通ることが出来ないようです。なので国道55号線、旧国道を通り生見へそしていくみ坂を越へて相間へそしてあいま坂(私は歩いていませんが旧道を通ることは可能なようです)を越える。

f:id:hyamatyan:20200907160014j:plain

野根に入り国道と別れ右へ入り200m程で東洋大師と呼ばれる明徳寺がありその前に

f:id:hyamatyan:20200902204948j:plain
f:id:hyamatyan:20200902204943j:plain

野根の町中には明治31年に西側山沿いに開設されたと思われる写し霊場の新四国八十八ヶ所を示す道標

f:id:hyamatyan:20200902204954j:plain
f:id:hyamatyan:20200902204959j:plain

国道の西側にある野根川の川原に出る道の途中には徳右衛門標石 「東寺迄8里」

f:id:hyamatyan:20200902205005j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205010j:plain

この標石と思われることについて書かれた案内記が有り一文を載せると

明治末から大正にかけて出版された此村欽英堂発行の「四国遍路同行二人」に

野根の昼寝とて、ここより水尻まで二里の間は宿も人家もなく、ただ淋しくも、右は山、左は荒き土佐湾で磯打つ波音高く、もまれて下がるごろごろと転がる石のものすごく慰むたねのあらばこそ徒然歩むその中に迎える如く、一里一里に立つ石に近寄る度に足軽くまた見る石を待ち遠く疲れ足を軽々と運べば見ゆる小水谷橋の辺に立つ石は東寺迄八里ぞと・・・

 明治のころ八里石はこの先海岸沿いの御水橋付近に在った様だが江戸時代は伏越番所の先に在った様です。

 次に野根川橋を渡った先の小堂内に舟形地蔵の道標

願主は木食佛海とありこの先にも同じ佛海の道標が東寺までに3基、その他には足摺山への道、65番仙龍寺への道にも残っています。

f:id:hyamatyan:20200902205017j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205023j:plain

木食佛海とは平成13年愛媛県生涯学習センター発行の「四国遍路のあゆみ」に詳しく書掲載されている。その一文です

木食佛海は修行の旅に出て26歳で木食(五穀や塩を絶つ)行に入り、39歳には日本国中廻国修行を成就している。その間に三千体の地蔵尊像を彫り残した。40歳のときに故郷猿川村(北条市猿川)に帰り、遍照庵(木食庵)の復興、風早西国三十三所観音霊場の開設などを成し遂げた後、四国遍路に専念し、21度の巡拝を成就している。その間に遍路のために地蔵道標や土佐佐喜浜入木に接待庵(現仏海庵)を建て、明和6年(1769年)、自ら造立した宝筐印塔の下に、即身成仏を期して土中入定を果たした人である。享年60歳であった。

 昔は野根川を渡った先で少しの山越えをして海岸に出ていた。途中には番所がありその跡もあるようです。文化九年再板の宝つかみ取に書かれた野根から番所付近の絵図

f:id:hyamatyan:20200903180701j:plain

伏越の番所から下り海岸へ、昔は「飛石、はね石、ゴロゴロ石」と呼ばれ海岸沿いの岩石を伝いながら歩き大変だったようです。

四国遍路道中雑誌(松浦武四郎)には

番所よりおさき村(尾崎)迄三里の間、人家無、ただ法界庵のミ也。

f:id:hyamatyan:20200905130213j:plain

今は国道55号線を楽に歩ける。

海岸の絵図

f:id:hyamatyan:20200903180729j:plain

f:id:hyamatyan:20200907160020j:plain

伏越から3km程行き国道沿いの擁壁の中に佛海の道標 「佐喜浜ヘ3リ」

f:id:hyamatyan:20200902205028j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205034j:plain

 次に3km程進むと国道脇に徳右衛門標石 下部が欠損か土に埋まている為、不明だが東寺迄6里の標石と思われる。

f:id:hyamatyan:20200902205040j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205046j:plain

f:id:hyamatyan:20200907160025j:plain

それより1km先、左側に水尻海岸と書かれた標識があり茂みを入った所に佛海の道標

f:id:hyamatyan:20200902205051j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205056j:plain

次に入木では右へ市道に入り先の道標の願主である仏海が遍路の為に起こした庵があり、その前に徳右衛門標石 「東寺迄5里」

f:id:hyamatyan:20200902205102j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205109j:plain

そして少し先に資料では手差しの道標が有るようだが確認出来なかった。

f:id:hyamatyan:20200907160030j:plain

佐喜浜に入る手前には舟形の道標

f:id:hyamatyan:20200902205115j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205121j:plain

佐喜浜の集落出口の国道沿いに徳右衛門標石 「東寺迄四里」

少し前までは甲浦にあったようですが元位置に近いと思われる現位置に置かれている

f:id:hyamatyan:20200902205127j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205132j:plain

都呂の国道沿い墓地の前の小祠内に佛海の道標

f:id:hyamatyan:20200902205138j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205144j:plain

f:id:hyamatyan:20200907160035j:plain

国道から左へ鹿岡鼻の奇岩の有る海沿いの道に付近の山沿いの旧道に在ったとされる下部欠損の徳右衛門標石 「東寺迄3里」と思われる

f:id:hyamatyan:20200902205149j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205155j:plain

f:id:hyamatyan:20200907160042j:plain

暫くして右へ割と広い旧道(日置坂)に入りへ暫く歩きましたがダンチクが生い茂り通行が難しく引き返しました。

旧道を反対側から登ると中務茂兵衛の道標が倒れて置かれています

f:id:hyamatyan:20200902205206j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205200j:plain

 

f:id:hyamatyan:20200907160047j:plain

三津漁港近くに付近より移設された道標

f:id:hyamatyan:20200902205212j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205217j:plain

f:id:hyamatyan:20200907160051j:plain

暫くは道標は見当たらず東寺への登り口に大正5年の道標

f:id:hyamatyan:20200902205222j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205228j:plain

寺の少し手前の坂途中に下部が欠損した倒れた道標

f:id:hyamatyan:20200902205233j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205239j:plain

坂を登り切った所、仁王門手前には付近に在った舟形の丁石が並んで置かれています
安永7年の道中日記には東寺迄の登り道に丁石地蔵が有ると書かれています。

f:id:hyamatyan:20200902205249j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205244j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205255j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205301j:plain

f:id:hyamatyan:20200902205309j:plain

仁王門横には違うタイプの丁石が2基

f:id:hyamatyan:20200902205321j:plain
f:id:hyamatyan:20200902205331j:plain

24番東寺(最御崎寺

f:id:hyamatyan:20200902205336j:plain

MAP24-08~16(カシミール3Dにて作成)

f:id:hyamatyan:20200907160056j:plain

(=^・^=)END







 

 

 

23番薬王寺から24番東寺へ1(甲ノ浦迄)

 23番薬王寺から24番東寺間(甲ノ浦迄)の道標・丁石

 案内記では23番薬王寺から東寺迄21里の道法である。

薬王寺からは少し山手に入り寒葉坂を越えて牟岐へそれからは海沿いの八坂八浜を通り

浅川へそれより阿波土佐の国境を越えて甲ノ浦へ、それから東寺迄は海沿いの道を進み室戸岬へ向かう昔は途中に飛石、はね石と呼ばれる海岸沿いの難所だったようです。今は国道55号線で太平洋を望みながら歩いて最後に山道を登ると24番東寺(最御崎寺

 

薬王寺門前付近には4基の道標が有り、寺への入口右に中務茂兵衛の道標

「東寺へ21里」

f:id:hyamatyan:20200831180523j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180529j:plain

左には23番の奥の院厨子山を示す道標

奥之院へは日和佐より北へ向かい土佐街道の丹前坂を越えて行っていたようです。

f:id:hyamatyan:20200831180534j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180539j:plain

照蓮の道標等

f:id:hyamatyan:20200831180545j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180551j:plain

この少し先で旧道は消滅していてJRが国道55号線下を通る付近から旧道が残り

国道下を通ると右に地蔵が有その横に真念標石

f:id:hyamatyan:20200831180556j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180603j:plain

この先は一部国道55号線を通りそして左へ国道下の旧道へ入りJR横川トンネル手前で山道に入り登って行くと横子峠で徳右衛門標石が在る。下部は折損か土に埋まっていて判らないが恐らく「東寺迄20里」

f:id:hyamatyan:20200831180608j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180614j:plain

峠を下るとJR山河内駅北側に出、此処に2基の道標

付近は23番奥ノ院経由の道が合流する所です。

f:id:hyamatyan:20200831180620j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180632j:plain

打越寺を過ぎると国道を通ったり旧道に入ったりしながら寒葉坂峠に至ります。峠からは国道から別れ右へ旧道を下り400m程でJRを越えてゆっくりと下って行くが途中に旧道を示す石造物は見当たらなかった。辺川の川又で国道と合流するがすぐに右の旧道に入るのであるが付近に道標が2基

f:id:hyamatyan:20200831180639j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180645j:plain

辺川の集落中程に道標 「牟岐へ25丁」

f:id:hyamatyan:20200831180657j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180650j:plain

小松大師を通り再び国道を歩き牟岐手前までは殆ど国道を進む。

途中の旧道の牟岐川を渡る所に昭和時代の道標

f:id:hyamatyan:20200831180703j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180710j:plain

資料では牟岐町付近には、いくつかの道標が有ったようだが見当たらなかった

今は無くなった民族資料館内にも道標が在った様だが不明

牟岐より浅川までは八坂八浜と呼ばれる海岸近くを通る遍路道です。

一つ目の坂は大坂(逢坂)で牟岐の市街を過ぎ瀬戸川を渡り車道を少し登ると案内板があり大坂峠越えの山道に入るこの大坂峠の下り道には享和元年(1801)の道標がり「是より90丁」とだけ刻んであるがこれは何処を示しているのか距離からするとこの先では四国偏礼名所図会に出てくる海陽町四方原にある弘法寺か?

f:id:hyamatyan:20200831180716j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180723j:plain

大坂を下ると内妻で海岸に出る次の坂も旧道の山道(松坂)を歩くこれを下ると古江で次の坂は、しだ坂(福良坂)これは旧道の道筋は不明で国道等で消滅している

次の浜は、福良で四番目の坂は、福良坂(念仏坂)で福良トンネル手前で右に山道の旧道に入る。坂を下った鯖瀬には鯖大師があり本坊横の道標には「東寺へ16里10丁」

f:id:hyamatyan:20200831180729j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180735j:plain

JRを越えて国道に合流する手前には鯖大師を示す道標

f:id:hyamatyan:20200831180747j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180741j:plain

この先は八坂八浜は国道、又は旧国道を通る

大砂海岸の入口には徳右衛門標石 「東寺迄16里」

f:id:hyamatyan:20200831180754j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180801j:plain

浅川港の旧道を通り国道に合流する所に2基の道標

f:id:hyamatyan:20200831180807j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180813j:plain

しばらく国道を通り八坂八浜最後の借戸坂を下ると

道指南でいうめんきょ村(海陽町四方原、大里)に至るこの先、海部川は昔は歩いて渡っていたが現在は旧道を進むには国道の新海部川橋を渡ってから右へ高園で再び旧道に入りそれより山越え(馬路越、那佐坂)で那佐に下る。尚、馬路越の古い道は現在より少し西あった様だが確認していません。那佐からは国道55号線を進むが途中、海岸側に通行は困難であるが古道が一部残っている。そして宍喰へ、国道右側の町並を通り宍喰川を越えて古目には番所跡がありそのすぐ先に標識が有、左へ 山道に入る。峠には折れて倒れている道標。これは距離からすると佐喜浜の八幡宮を示しているのだろうか?

f:id:hyamatyan:20200831180825j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180831j:plain

峠は阿波、土佐の国境で道を下ると甲浦港に出る。甲浦港には2001年迄は大阪より船があり自転車でも来れたのですが。

甲ノ浦では道から少し離れた甲浦中学校横に明治時代の道標が2基在る。これは

四国内にいくつか見られる京都独鈷組の道標です。

f:id:hyamatyan:20200831180837j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180843j:plain

白浜の通りには地蔵の台座として利用され横向きになっている道標

f:id:hyamatyan:20200831180850j:plain
f:id:hyamatyan:20200831180857j:plain

 MAP24-01(カシミール3Dにて作成)

f:id:hyamatyan:20200831215147j:plain

MAP24-02

f:id:hyamatyan:20200831180910j:plain

MAP24-03

f:id:hyamatyan:20200831180915j:plain

MAP24-04

f:id:hyamatyan:20200831180920j:plain

MAP24-05

f:id:hyamatyan:20200831231932j:plain



MAP24-06

f:id:hyamatyan:20200831180930j:plain

MAP24-07

f:id:hyamatyan:20200831180935j:plain

 (=^・^=)END