四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

29番国分寺から30番一ノ宮(善楽寺)へ

29番国分寺から30番一ノ宮(善楽寺)間の遍路道に残る道標・丁石

国分寺より一ノ宮(善楽寺)迄は案内記等では1里半の道法

75丁と書かれている道中日記もあります。

現在歩くと約7km程の距離です。

 

国分寺境内山門を入ってすぐ左には徳右衛門標石が有り

「一ノ宮へ 壱里半」 一部追刻されています。

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境内の左奥、大師堂横の石造物群の中には元禄2年(1689)の道標

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寺を西に出て田圃を通る旧道には施主が同じであるの2基の道標が残る。

少し先の笠ノ川川は橋が無く渡ることが出来ない為に迂回を通り八幡へ向う。

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八幡の三差路には中務茂兵衛の道標

この先、定林寺から滝本を通り一ノ宮へ向かうのであるが明治の廃仏毀釈善楽寺は廃寺となり昭和5年に寺が現在地に再興されるまでは高知市内の安楽寺で納経を行っていた。

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この先滝本迄の旧道は殆ど消滅している。県道384号線を進みますが途中「一ノ宮へ壱里」の道標が個人宅に保管されているようです。

滝本からは少し登り道となり逢坂峠を越へて一ノ宮へ

下り道の途中からは旧道は消滅しています。

30番善楽寺に入って右側の一角に道標等が集められていています。

真っすぐ31番へ向かう道と高知城下を通る道の分岐点に在ったと思われる道標

この道標思われることが文政五年の道中日記(山口県文書館蔵)に記載が有り

 

△一之宮 一里半 本尊阿弥陀如来 参詣、宜敷宮居也。はば長し、茶屋二軒あり、夫より鳥井元まで出ると記石あり、右遍路道、左り城下道と有、但城下へ出る時ハ半道計りの廻りニ成と申事・・・」

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そして付近に在ったと思われる益田喜一の標石が多く置かれています。

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四国遍路図会の絵図 31番一ノ宮

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本来の札所は一ノ宮神社の神宮寺であったが廃仏毀釈のため明治4年に廃寺となり29番国分寺に合併されていたがその後、明治9年より高知市内の安楽寺にて納経していた。

昭和5年には現在の札所である善楽寺が再興されている。

明治31年の納経帳

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 安楽寺を通る道には中務茂兵衛の道標が幾つか残っています。

MAP31-1(カシミール3Dにて作成)

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MAP31-2

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MAP31-3

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