13番大日寺から16番観音寺間の道標
13番一ノ宮(大日寺)から先は17番井戸寺迄は札所間の距離が短く
案内記等には
13番一ノ宮から14番常楽寺へ 15町(現在歩く距離2.7km)
15番国分寺から16番観音寺へ 18町(1.8km)
1)14番常楽寺へ
大日寺の本堂の左には上部が欠けているが「御国四十九薬師」を示す安政6年銘の道標がある。これは四国88ヶ所との関係はわかりませんが概ね遍路道に沿って10基を確認しています。徳島の49薬師巡礼の道標で29番大日寺と刻まれていて
次は「是より瑜伽庵 十丁」と記されています。
色々調べてみても「御国四十九薬師」に関する資料は見つけることは出来なかった。
大日寺の山門脇に有った道標は現在、見当たらなくなっています。
一宮神社横の一宮城跡への登り口に
次に場所は不明ですが付近に有ったと思われる「徳島の石造文化財」のリストにもある
中務茂兵衛の「焼山寺 五里」の道標は見当たりませんでした。
遍路道はこの先二つのルートが有ります。
一つ寺のすぐ東から北へ行く道で途中に道標は見当たりません
もう一つは県道北側の道を東へ進むと大日寺から350m程の三差路に道標が3基
左は14番常楽寺へ行く。
右は18番恩山寺への道で県道21号線から208号線を進む上八万から法花へ出る道でこの道筋にも恩山寺を示す幾つかの道標が見られるので後日紹介したいと思います。
14番への道は少し北へ鮎喰川の旧土手と思われる道に入り先の二つのルートが合流して東へこの道を300m程行くと三差路があり遍路道は左でここに地蔵尊と照蓮の標石
次に100m程で中務茂兵衛の道標
昔はこの先150m程で形跡は残っていないが鮎喰川を歩いて渡ていました。
今は一宮橋を渡る。渡った先に道標が有った様ですが見当たりません
この先小さな峠を越へ一宮町から国府町に入り下った先、左側に「14-01」の道標に有った瑜伽庵(瑜伽大権現)が有る。この先日枝神社手前の曲がり角には照蓮の標石
そして小さな 池の横を通り常楽寺入口に照蓮標石
階段を上ると14番札所常楽寺
2)15番国分寺へ
境内左手の手水舎脇に徳右衛門標石「国分寺迄八町」
本堂左に四拾九薬師31番の標石次は子安庵江二丁
八幡神社登り口鳥居前の少し先に右側に百五十一番と刻字のある照蓮標石
14番奥ノ院慈眼寺へ入った左に四拾九薬師32番子安庵の標石、次は八祖大師庵江三丁
境内の生木地蔵前を通り民家横の路地を通り突き当たりに照蓮標石
道を下り車道に出た所に
車道を北へ進むと左側に赤い建物の八祖庵があり前に御国四拾九薬師33番の標石
次は興禅寺江二丁
国分寺へ左に曲がる所の民家の柵に2基の道標、一つは中務茂兵衛の道標
ここを曲がらず少し先水路沿いに脇に安永六年銘の地蔵台石型の道標
興禅寺前に四拾九薬師34番の標石 次は国分寺
100m程で15番札所の国分寺
3)16番観音寺へ
駐車場には徳右衛門標石で「観音寺迄十四丁」とあるが道指南等の案内記には18丁とあり距離の違いはどういうことだろうか
山門横に四拾九薬師35番の標石 次は観音寺??庵へ12丁
かなり劣化した照蓮の標石
次に道はT字路で突き当たり遍路道は右へ進むが手前に石造物が集められていて4基の道標。照蓮標石、中務茂兵衛の標石もあり
次に左へ曲がる分岐に2基の道標、1基は照蓮標石
左へ折れて1km程真っすぐに北上し環状道路を越えて伊予街道である県道123号線に出るが此処に道標が2基 左へ行くと伊予街道を通り藤井寺へ
これを曲がらず真っすぐに進むと150m程で義経ゆかりの舌洗池があるがここに折れている御国四拾九薬師36番の標石、次は不明
16番観音寺前に道標があり17番、11番、15番を示している風化が進んでいて裏面の刻字は不明
MAP14-1(カシミール3Dより作成)
MAP14-2
MAP16
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