太龍寺からいわやを経由する道は以前のブログを参照して下さい。
岩屋への分岐から右へ少し登り阿瀬比へは急な下り坂となります。途中に39丁石が1基ありますがこれは恐らく丁数からして岩屋への消滅した道筋にあった物だと思われます。下って来てくると昔のお寺跡があり石造物が多くみられます。
薬師堂の前には徳右衛門標石
これは太龍寺寄り(岩屋への分岐付近?)に在ったのを移設した際一里以後が削られています(たぶん20丁)。
すぐ近くには手差しの道標、是も何処からか移設されたものでしょう
やがて県道28号線に出た所にも自然石の道標
国道195号線を横断し50mで市道を横断する所に中務茂兵衛の道標
山裾の旧道を進み小川の袂に小さな手差しの道標
徳島県の阿波遍路道調査報告書(2019年)によるとこの道標はこの先大根峠口にある真念道標の折損した下部のようです。
近くに新しい道標
先の茂兵衛の道標から市道を東へ行った先に道標
遍路道を進むと2基の道標
自然石の道標の施主名が何故か削られている
この先の分岐を右に行くのですが分岐に元はも少し手前に在った真念標石、風化がかなり進んでいます。
やがて山道となり大根坂を越えます。峠を越え下り道に
数メートル先に
この先は旧遍路道は判らなくなっていて現在の遍路道を下ります。
回りが開けて阿南市新野町岡花の分岐には文政13年(1830)の道標、平等寺へ15丁
つぎに300m程の三差路には2基の道標、1基は大正14年(1925)
そして文化4年(1807)の道標、平等寺へ10町
桑野川沿い進み岩戸橋近くに天保と大正の2基の道標、平等寺へ6丁
道を650m程進んだ右側に付近にあったと思われる石造物が集めてあり
その中に2基の道標手差しの道標と
享保13年(1728)の道標、施主は淡路島の人である。是は刻字から元は左へゆくと平等寺右へゆくと川を渡り薬王寺方面へ行く所に在ったのだろう
100m足らずで22番平等寺
MAP22-3(カシミール3Dにて作成)
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