鶴林寺から下って来て那賀川を渡るのですが昭和40年に水井橋が出来るまでは江戸時代から船で渡っていました。昔は川を渡りその先は急な登りだったようです。
但し古い時代には那賀川の渡しも無く別ルートの南北朝時代の町石が残る加茂からのルートで太龍寺に上っていたようです。
承応2(1653)四国遍路日記(澄禅)には
寺ヲ出、直ニ坂ヲ下テ川原ニ出。此川ハ大河ナレドモ舟モ無ク渡守モナシ。上下スル
舟人ニ向テテヲ合、ヒザヲ屈シテ二時斗敬礼シテ舟ヲ渡シテ得サセタリ。其ヨリ先ハ
深谷ノ人里絶タル所ヲ細谷川ヲ付テ行事一里斗、又夫ヨリ大坂ヲ上ル事五十町なり
貞享2年(1687)四国遍路道指南(真念)には
太竜寺まで一里半、道ハちかミちなり。大師御行脚のすぢハ加茂村、其のほど二里、
旧跡も有。○大井村、なか川舟わたし○わかすぎ村、家四五軒有
安永7年(1778)の道中日記には
長井川舟渡有、夫より山路越シ、若杉四五軒ノ在也。沢手廿丁斗、
夫より丁切、十八丁より
寛政12年(1800)の四国偏礼名所図会には
那賀川 船渡し十五文宛 若杉村 家四五軒有、是より太龍寺迄廿丁坂、西新道、
東古道新道通りてよし
水井橋を渡り100m程で左へ折れる切通しの所に以前は少し手前に在った様ですが舟形の一丁石で太龍寺迄28丁との刻字があります


昔は切通しも無くすこし上に昔の遍路道も残っていて3丁石が在るようですが確認してません。


遍路道は谷川沿いに緩い登り坂となります。
途中には28丁を最後とする舟形丁石が在ります。
2丁、5~9丁、13丁石は不明で3丁石、18丁石は存在するようですが未確認
又、丁数不明の物が谷川の東側に1基在るようです。
















この先、若杉を過ぎると急な登りの山道となります。


18丁石は道より3m程の高い所に有るようで見落としています














やがて鞍部に達した所に南北朝時代の古い丁石を再利用した道標
道標にあるようにここまで麓の加茂より町石が残る遍路古道が続いています。




なだらかな登り道を進みます




仁王門前登り口に是も古い(貞治年間)町石を再利用した3丁石


仁王門から100m少しで最後の28丁石
舟形丁石の施主はすべて那賀川流域の人達である


21番太龍寺
MAP21-2(カシミール3Dにて作成)
MAP21-3
(=^・^=)END