37番五社から38番蹉跎山(金剛福寺)へ3(大岐~足摺)間の道標・丁石
「四国遍路道指南」より抜粋
おほき村(大岐)此間海辺行過、山路。いぶり村(以布利)大師堂。くぼつ(窪津)宮有。つろ村(津呂)此間山路。大たに村(大谷)
「四国遍礼名所図会」より
大木村 此所にて支度。小谷川 水出の時は川上よし。浜辺砂道 廿丁斗り。山路 此間に一丁四方の芝原有、景吉。いぶり村 松原に大師堂。小川 右ノ山脇に窟弐ツ有。海辺 塩満の時は右へ行べし。山路 此間に難所有。久保津 此所にて一宿
十九日 曇日和出立 谷川札の辻より山路。森ノ宮 鳥井有り。津呂浦、山路、大谷村、いさ村 卅八番蹉跎山補陀落院金剛福寺
現在歩くと大岐から金剛福寺まで一部旧道を通り16kmほどです
いくつかは見落としたのか記録に有る丁石等で確認できなかったものもあります。
以布利の港から海岸沿いに進むと山へ入る登り口に道標が2基
1基は室戸への遍路道等にいくつか残る佛海による舟形地蔵道標の一つで
足摺へ三里五丁(155丁)
横には下部欠損の道標
これより山道を登って行くと百四十七丁石
すぐに足摺山へ3里(150丁)の標石
旧道から一旦国道に出た所には2里30丁(130丁)
是より再び国道西側の旧道、山道に入る
この先山道の旧道には丁石が比較的残っている
百二十五丁石
百二十三丁石 確認したときは逆向きになっていた
百二十二丁石 付近の遍路道は比較的歩きやすい道です
百二十一丁石
百二十丁石 この先しばらく丁石は見当たらず
次に残るのは百九丁石
窪津への下り道に百四丁石
窪津を見下ろす高台に文化9年(1812)の道標
窪津からの旧道は再び登りとなりその途中に2基の道標
足摺道では一番古い元文元年(1736)銘の道標
坂を登りきった所には丁石が2基
百二丁石
九十五丁石 少し先から持ってこられたのか倒れて置かれている
旧道から国道に出てしばらく歩くが国道脇には破損した道標
再び旧道を通り七十丁石
権現の旧道に足摺山七ふしぎと刻字のある六十五丁石
脇に五十六丁石が置かれている
津呂には2基の丁石 五十五丁石と五十三丁石が並ぶ
道が荒れて一部消滅して今は通るのが難しい場所に五十丁石
国道の少し下これも一部残る旧道で今は通ることのない所に三十八丁石
次に38番奥の院白皇山を示す道標が有るようだが見つけることは出来なかった
付近の旧道はおおむね国道より山側に旧道が残るのだが私が通った時は通りにくいところも有った。三十一丁石
追刻字のある三十丁石
28丁、25丁石も見逃したのか確認できなかった
十九丁石と思われる丁石
一のせ6里30丁と示す丁石が記録に残るがは見当たらず
次に旧道に残る十八丁石
十六丁石
次の十一丁石は未確認、その先寺までの間には丁石が見当たらない
足摺山(金剛福寺)の門前には次の札所を示す道標が2基並ぶ
1基は徳右衛門標石、市野瀬から足摺迄の間には徳右衛門標石はなぜか見たらない。
大師堂前には舟形地蔵の台石に丁数が刻まれたものが並んでいる。
寺の手前に在ったもので足摺山図には三丁石が描かれている。又、道中日記には足摺の手前に6丁より丁石が有ると書かれている。
愛染堂の西横には奥の院へ1里、月山へ9里の道標
四国遍礼名所図会より
足摺山図(手持)
足摺山図には七不思議など名所が番号を付けて描かれていて
①天燈の松②竜燈の松③力石⑤ゆるぎ石⑥不増不減ノ水⑦不動尊⑧根笹⑨午時ノ雨⑩潮満干ノ石⑪遊仙の滝⑫経塚⑬一夜建立鳥居⑭亀呼場⑮波切不動⑯六字名号石⑰地獄穴⑱阿字ノ石⑲ケイ石⑳天狗ハマ㉑竜ノ駒
MAP38-15(カシミール3Dにて作成)
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