四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

37番五社から38番蹉跎山(金剛福寺)へ1(市野瀬)迄

 

37番五社から38番蹉跎山(金剛福寺)へ1(市野瀬)間の道標・丁石

「四国偏礼道指南」要約
是よりあしずり迄廿一里。(一里4kmとすると約84km)

窪川村〇岡崎〇古市〇金上野村、川、坂有り〇峯ノ上村、片坂下る〇市野瀬村〇橘川村〇拳ノ川村〇荷稲(かいな)村〇小黒ノ川村〇不破原、此間坂(不破原坂)有〇熊井村、次に熊越坂〇藤縄村〇白石〇中角村〇佐賀浦町(土佐佐賀)五社よりこれ迄六里。いよぎ谷とて山路、谷川数々有〇白浜村、次に灘峯坂〇伊田村〇有井川村〇川口村(上川口)川、坂有〇浮津村、是より海辺を行く。吹上川を渡る干潮の時はまっすぐに行。満潮の時は右へ行く〇入野村。蛎瀬川、曳舟有〇田野浦是より七八丁浜辺を行く、しるし石有。向こう山端は下田道こちらは舟渡しで少し遠回りの道〇出口村、次に小川、坂有り〇竹島村、大河(四万十川)舟渡し。実崎村、天満と云所に曳舟が有り。間崎村、薬師堂有り。津蔵淵村、次に伊豆田坂、下って小川(市野瀬川)有り〇市野瀬村、佐賀浦より是迄八里、此村に真念庵といふ大師堂が有り、遍路の人を泊める。是よりあしすりへ七里、但し篠山へ行く時は此庵に荷物を置き足摺より戻る。月山へ行くときは荷物を持って行く。

足摺から月山へ向かう人以外は市野瀬まで戻り次の札所39番寺山(延光寺)へ向かっていた。昔は真念庵等、市野瀬に荷物を預けて往復していたようです。

五社から市野瀬迄14里で現在歩くと60km程の距離である。

 

五社(高岡神社)前には徳右衛門の標石 「足すり迄21里」

f:id:hyamatyan:20210219211328j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211335j:plain

来た道を戻り四万十川を渡り少しの山越えをして窪川へ下る

山越えの麓に岩本寺の大師堂を示す道標

f:id:hyamatyan:20210219211341j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211347j:plain

窪川の駅近くT字路に、元は窪川の北、呼坂峠に在ったとされる道標

f:id:hyamatyan:20210219211353j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211359j:plain

現在は無くなっているが見付川近くに有った道標

一時期、四万十川近くのおそらく工事関係と思われる広場の片隅に置かれていました

f:id:hyamatyan:20210219211406j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211413j:plain

現在の37番札所岩本寺内には2基の道標

①以前は添蚯蚓坂の海月庵に在った道標

中土佐町史によると「高岡郡仁井田村誌」に庵跡に倒れて置かれていたと書かれているとのこと

f:id:hyamatyan:20210219211419j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211426j:plain

②寺に入り右側片隅に37番大師堂、五社の納経所、順、逆遍路道と示す道標

f:id:hyamatyan:20210219211432j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211440j:plain

窪川の出口、レストランの水車前には3基の道標などが集めて置かれている

f:id:hyamatyan:20210219211446j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211452j:plain

f:id:hyamatyan:20210219211458j:plain

金上野の国道脇に徳右衛門標石 「足すり迄廿里」

f:id:hyamatyan:20210219211505j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211512j:plain

この先、片坂で下り道となるが峠は高岡郡幡多郡の境で今は無いが郡界石標があったと道中日記には書かれている

佐賀橘川の国道から旧道に入るとすぐに地蔵の台石だったと思われる道標

f:id:hyamatyan:20210219211517j:plain
f:id:hyamatyan:20210220150229j:plain

この先辻坂越に道標があるようだが見当たらなかった

土佐佐賀には徳右衛門の標石 「足すり迄十六里」

f:id:hyamatyan:20210219211532j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211538j:plain

海岸沿いを進み灘からは少しの山を越す(灘峰坂と云い一部旧道が残っている)

坂の下り道から少し行った所に在った今は廃寺となっている松山寺を案内する道標は現在、伊田の観音寺に置かれている。ここには他にもう1基「足摺山へ13里」と刻字のある鳥取の人の墓碑型道標もある。

f:id:hyamatyan:20210219211543j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211556j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211549j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211602j:plain

松山寺跡への登り口の少し先には近代の道標

f:id:hyamatyan:20210219211608j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211617j:plain

有井川には「有井庄司の墓」を示す道標

f:id:hyamatyan:20210219211623j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211634j:plain

浮津には上部欠損の徳右衛門標石が道路の片隅に置かれている 「足すり迄十二里」

f:id:hyamatyan:20210219211639j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211629j:plain

浮鞭(うきぶち)には足摺山へ12里の道標

f:id:hyamatyan:20210219211652j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211659j:plain

入野にはいると松原が広がり割れて倒れている徳右衛門標石と再建された道標が在る

「足すり迄十一里」

f:id:hyamatyan:20210219211704j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211711j:plain

この先からの道は二筋あり時代によって遍路のメインルートが変わっているようで

一つは土佐中村方面へ向かい古津賀を経由する道(土佐街道)で蛎瀬川を渡った先の上田の口には舟型地蔵の道標

f:id:hyamatyan:20210219211716j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211723j:plain

そして古津賀の国道脇には中務茂兵衛の149度目の道標

f:id:hyamatyan:20210219211728j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211735j:plain

四万十川の土手下に

f:id:hyamatyan:20210219211741j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211747j:plain

四万十川堤防の祠内に徳右衛門標石 下部欠損している

f:id:hyamatyan:20210219211753j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211759j:plain

そして竹島の渡し場跡にある道標

f:id:hyamatyan:20210219211805j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211811j:plain

もう一つのルートは海岸寄りの道で田野浦から出口を通り渡し場に向かう道筋だが道標は確認していない。又、田野浦から平野を経由して下田浦へそして四万十川を渡たるルートもある。

現在は四万十川は四万十大橋を渡る。

間崎には中務茂兵衛の153度目の道標(明治29年

f:id:hyamatyan:20210219211818j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211825j:plain

津蔵淵のから伊豆田峠への登坂となって行くところに下部欠損の徳右衛門標石

f:id:hyamatyan:20210219211833j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211839j:plain

伊豆田坂は国道から右へ別れ車道を上って行くのだが遍路道からは離れているが国道の伊豆田トンネル手前にある今大師の入り口と堂横に旧遍路道に在った道標が置かれている

f:id:hyamatyan:20210219211845j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211851j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211856j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211903j:plain

今は通れないが旧伊豆田トンネルの少し手前からは旧道が残り伊豆田坂を超えることが出来る。トンネル近くに6丁石があったようだが現在は見当たらない。

峠に達すると手差しの道しるべ 

f:id:hyamatyan:20210219211908j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211914j:plain

足摺山へ7里20丁と記す道標がある

f:id:hyamatyan:20210219211919j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211929j:plain

坂を下り市野瀬へここには多くの道標がある。

この先足摺迄江戸末期(嘉永、弘化)の丁石が幾つか残り350丁から1丁ごとに減じていく丁石が設置されたようで失われたものもあるが80基程確認されている。

足摺へ最初の丁石で350丁 1里が50丁で足摺迄7里350丁

f:id:hyamatyan:20210219211935j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211947j:plain

丁石設置を表す記念石碑もある

f:id:hyamatyan:20210219211953j:plain
f:id:hyamatyan:20210219211959j:plain

真念の標石

f:id:hyamatyan:20210219211941j:plain
f:id:hyamatyan:20210226193239j:plain

MAP38-01(カシミール3Dにて作成)

f:id:hyamatyan:20210304115306j:plain

MAP38-02

f:id:hyamatyan:20210304115326j:plain

MAP38-03

f:id:hyamatyan:20210304115341j:plain

MAP38-04

f:id:hyamatyan:20210304115352j:plain

MAP38-05

f:id:hyamatyan:20210304115401j:plain

MAP38-06

f:id:hyamatyan:20210304115411j:plain

MAP38-07

f:id:hyamatyan:20210304115419j:plain

MAP38-08

f:id:hyamatyan:20210304121558j:plain

MAP38-09

f:id:hyamatyan:20210304115440j:plain

MAP38-10

f:id:hyamatyan:20210304203046j:plain

MAP38-11

f:id:hyamatyan:20210304115500j:plain

(=^・^=)END