59番国分寺から60番横峰寺間の道標・丁石1/2(小松町大頭から横峰寺迄)
昭和9年大阪の欽英堂書店発行「四国遍路たより」には昔の道の様子が分かるので
面白いでここに抜粋記載します。
妙雲寺から横峰寺へ一里三十五町
渓の流れに沿ふて大郷を経て二十五町の間は平地、それから左へ山を登ります
寺まで四十六町、湯浪まで十三町半、湯浪から先は人家はありません。
一山越えて小川を渡ると寺まで三十三町、暫し行くと湯浪村、
石垣を築いた村を通って堂社のところから愈々登りになります。
三十一町の標の先で石を伝って川を渡ります。
そこに御來迎所とした文化十四年の碑が建っていて瀧の流れも何となく森厳です。
一町毎に標を打った渓間をあちらこちら渡って、途中に大師野宿の跡や、御履跡石
開山の節身体を清めて御登山になったという垢離水行川(こりとりがわ)や大師岩の
旧跡を拝して、後六町の所まで参りますと古坊と言ふて此所は昔七堂伽藍が
ならび立っていたところで・・・今の横峰寺は中院であったそうです。
六十一番へは此所へ打ち戻って二里です。
小松町大頭からは概ね県道147号線を南へ進む
妙之谷川沿いに進み川を渡った先の分岐には最初確認した時は半分埋まっていたが今は全体が確認できる道標(宝暦4年)


小さな大郷大師堂の中には上部欠損の丁石


やがて旧遍路道は県道から別れ左側の山の中を通る
不鮮明であるが一部通ることが出来
幾つかの丁石、徳右衛門標石等が残る






徳右衛門標石 「横峰寺迄50丁」




愛媛県生涯学習センター発行の「伊予の遍路道」によると旧遍路道沿いには
46丁、40丁、39丁、37丁、34丁、36丁、31丁の丁石も残るようだが未確認
県道を右に曲がる所、尾崎神社前には自然石の石造物があり
読み取りづらいが道標のように思われた


道路の擁壁の中に道標


しばらくは県道を進む「峯より40丁」


2基の丁石










湯浪休憩所からは階段を登り山に入って行く
山道沿いには途中多くの丁石等が残る














14丁石も在るようだが未確認


「従峯十三町」の角柱町石は見落としたのか未確認
























少し行くと少し開けた所が有り古坊と言う集落があった様で確認してないが附近より香園寺へと行けたようだ
ニ基の道標が倒れた状態で残る














横峰寺山門前の道標(明治3年)


60番横峰寺 四国遍禮名所図会より
MAP60-08(カシミール3Dにて作成)
MAP60-09
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(=^・^=)END