60番横峰寺から61番香園寺間の道標・丁石
四国遍路道指南
是よりかうおんじまで三里 右の大戸村へもどる
〇此川有〇ミやうぐち村〇香苑寺村
六十一番香園寺 平地 ひがしむき 周(布)郡かうおんじ村
四国遍禮名所図会
是より大頭町迄下り 支度致し 香苑寺へ廿丁 明口村 香苑寺村
六十壱番栴檀山教王院香苑寺 周布郡かうおんじ村 一の宮へ八丁
四国遍路道中雑誌(松浦武四郎)より
横峯より直ニ香園寺へ下るには、山の端横道七十五丁。此間茶店所々に有。
止宿によろし。下りて 小松町 一萬石。一柳候の城下也。
商戸を並べてよろしきところ也。出て田道しばし行て
六十一番栴檀山教王院香園寺 六十番従八十弍丁也。小松町従七丁也。
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江戸時代一般的に横峰寺からは来た道を大頭迄戻りそれより香園寺へと向かっていたが
江戸末期以降は横峰寺からは北方に進み小松町へ出てそれより香園寺へと行く遍路も多くいたようだ。
昭和9年大阪の欽英堂書店発行「四国遍路たより」より
古坊に打戻って右へ一町半も行くと右側に落武者とかの塚があり。
子供の熱病に御利益があるとて玩具の太刀が沢山上がって居ります。
山を下って暫し山の背を歩いて又、山へ上りますと三十三町のところに
茶店が一軒あり、そこから二町参りますと燧灘の眺めがよろしいです。
七町もすると愈々下りとなって谷間の平地を行き更に七町行って段路
を下ると後は全く平地で。
六十一番は岡村から国道に出て左へ小松橋を渡り暫し行くと、
左へ広い参道の奥にあります。
現在の遍路道を歩くと大頭経由では大頭迄8kmそれより香園寺へ4km程
小松経由では10km程の道法です
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大頭迄の打戻りの道筋には道標が見当たらないので
ここでは小松経由の道沿いの道標等を示します
横峰寺からは「四国の道」を北へしばらく歩きます途中には道案内の標木がある
舗装された道を進む途中右側に
バス乗り場方面への分岐には「従峰2丁」
これらの丁石は大頭からの横峰寺への登りに在ったのではないだろうか
左へと進む 暫く広い道を歩きやがて案内標識より左へ山道を下る
下っていくと小松よりと示す地蔵が有る。附近には古坊からの道が合流していた
これより地蔵型の丁石が多く残る
新屋敷村は小松町新屋敷
32丁石の先で少し開けた所に出る。昔は茶店があったようだ
ここに道標があり香園寺へ二つの道筋があると示す
古い遍路道は明治末の地形図からすると右へ進み網付山付近を通り岡村を経て香園寺へと向かっていたと思われる。今は真っすぐ香園寺奥の院方面へ進む。
丁石が続く
この先道が広くなり工事で撤去されたのか42丁から先の丁石は見当たらない
採石場横を通った先には60丁を示す丁石
是によると一部の丁石は昭和七年に設置されたようだ
車道を進み高速の下を通って400m程の所に下部埋没の道標(文政4年)
旧遍路道に合流する
是より岡村の集落に入る
茂兵衛の道標(明治35年)
横峰寺は明治の始め廃仏毀釈により廃寺となったが明治半ばに仁王門の下より少し入った所に大峰寺として札所を再開した。
小松町に入り横峰寺(大峰寺)への道の入口にある道標
慶応4年に大峯寺はないので明治期に追刻されたものだろう
是より西に進む
メイン道路から少し外れた旧道沿いにある道標(弘化4年)
茂兵衛道標(明治36年)
小松橋を渡り香園寺へ向かう
四国遍禮名所図会より
MAP61-01(カシミール3Dにて作成)
MAP61別-01
MAP61別-02
MAP61別-03
MAP61別-04
MAP61別-05
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