四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

61番香園寺から62番一の宮(宝寿寺)へ

61番香園寺から62番一の宮(宝壽寺)間の道標

四国遍禮道指南

 是より一の宮まで八町

 六十二番一ノ宮 平地 東向 周(布)郡新屋敷

四国遍禮名所図会

 一宮へ八丁

 六十二番一ノ宮天養山観音院寶壽寺 周布郡新屋敷 吉祥寺迄七丁

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寺前の徳右衛門標石

右面の手差し等は追刻

横に

現在の参道ではなく少し南の旧道を行くと自然石の道標が有ったようだが

今は近くの墓地に移動しているようだ

茂兵衛道標(明治36年

香園寺参道入口の少し先には3基の道標が集められている

附近多くの道標等を設置している和田屋利平の道標(明治14年

清楽寺は明治初期廃仏毀釈横峰寺が廃寺となり一時期60番札所となっていた

横峰寺が復興してからは60番前札所となる

三嶋神社前には和田屋の道標とこんぴらの里程標、向かいには茂兵衛道標

茂兵衛道標(明治33年)

こんぴら里程標

東へ向かい藤木橋を渡った先にある茂兵衛道標(明治19年

JR踏切近くには円柱タイプの茂兵衛道標(明治34年

宝寿寺の入口右側の道標(昭和6年

宝寿寺入口左側には4基の道標が並ぶ

1基は徳右衛門標石

四国遍禮名所図会より

62番宝寿寺は鉄道施設にあたり一の宮神社近くから移動している

MAP62-1(カシミール3Dにて作成)

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60番横峰寺から61番香園寺へ

60番横峰寺から61番香園寺間の道標・丁石

四国遍路道指南

 是よりかうおんじまで三里 右の大戸村へもどる

 〇此川有〇ミやうぐち村〇香苑寺村

 六十一番香園寺 平地 ひがしむき 周(布)郡かうおんじ村

四国遍禮名所図会

 是より大頭町迄下り 支度致し 香苑寺へ廿丁 明口村 香苑寺村

 六十壱番栴檀山教王院香苑寺 周布郡かうおんじ村 一の宮へ八丁

四国遍路道中雑誌松浦武四郎)より

横峯より直ニ香園寺へ下るには、山の端横道七十五丁。此間茶店所々に有。

止宿によろし。下りて 小松町 一萬石。一柳候の城下也。

商戸を並べてよろしきところ也。出て田道しばし行て
六十一番栴檀山教王院香園寺 六十番従八十弍丁也。小松町従七丁也。

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江戸時代一般的に横峰寺からは来た道を大頭迄戻りそれより香園寺へと向かっていたが

江戸末期以降は横峰寺からは北方に進み小松町へ出てそれより香園寺へと行く遍路も多くいたようだ。

昭和9年大阪の欽英堂書店発行「四国遍路たより」より

 古坊に打戻って右へ一町半も行くと右側に落武者とかの塚があり。

 子供の熱病に御利益があるとて玩具の太刀が沢山上がって居ります。

 山を下って暫し山の背を歩いて又、山へ上りますと三十三町のところに

 茶店が一軒あり、そこから二町参りますと燧灘の眺めがよろしいです。

 七町もすると愈々下りとなって谷間の平地を行き更に七町行って段路

 を下ると後は全く平地で。

 六十一番は岡村から国道に出て左へ小松橋を渡り暫し行くと、

 左へ広い参道の奥にあります。

 

現在の遍路道を歩くと大頭経由では大頭迄8kmそれより香園寺へ4km程 

小松経由では10km程の道法です

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大頭迄の打戻りの道筋には道標が見当たらないので

ここでは小松経由の道沿いの道標等を示します

 

横峰寺からは「四国の道」を北へしばらく歩きます途中には道案内の標木がある

舗装された道を進む途中右側に

バス乗り場方面への分岐には「従峰2丁」

これらの丁石は大頭からの横峰寺への登りに在ったのではないだろうか

左へと進む 暫く広い道を歩きやがて案内標識より左へ山道を下る

下っていくと小松よりと示す地蔵が有る。附近には古坊からの道が合流していた

これより地蔵型の丁石が多く残る

新屋敷村は小松町新屋敷

32丁石の先で少し開けた所に出る。昔は茶店があったようだ

ここに道標があり香園寺へ二つの道筋があると示す

古い遍路道は明治末の地形図からすると右へ進み網付山付近を通り岡村を経て香園寺へと向かっていたと思われる。今は真っすぐ香園寺奥の院方面へ進む。

丁石が続く

この先道が広くなり工事で撤去されたのか42丁から先の丁石は見当たらない

採石場横を通った先には60丁を示す丁石

是によると一部の丁石は昭和七年に設置されたようだ

車道を進み高速の下を通って400m程の所に下部埋没の道標(文政4年)

遍路道に合流する

是より岡村の集落に入る

茂兵衛の道標(明治35年

横峰寺は明治の始め廃仏毀釈により廃寺となったが明治半ばに仁王門の下より少し入った所に大峰寺として札所を再開した。

小松町に入り横峰寺(大峰寺)への道の入口にある道標

慶応4年に大峯寺はないので明治期に追刻されたものだろう

是より西に進む

メイン道路から少し外れた旧道沿いにある道標(弘化4年)

茂兵衛道標(明治36年

小松橋を渡り香園寺へ向かう

四国遍禮名所図会より

MAP61-01(カシミール3Dにて作成)

MAP61別-01

MAP61別-02

MAP61別-03

MAP61別-04

MAP61別-05

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59番国分寺から60番横峰寺へ2/2(小松町大頭から横峰寺迄)

59番国分寺から60番横峰寺間の道標・丁石1/2(小松町大頭から横峰寺迄)

昭和9年大阪の欽英堂書店発行「四国遍路たより」には昔の道の様子が分かるので

 面白いでここに抜粋記載します。

 妙雲寺から横峰寺へ一里三十五町

 渓の流れに沿ふて大郷を経て二十五町の間は平地、それから左へ山を登ります

 寺まで四十六町、湯浪まで十三町半、湯浪から先は人家はありません。

 一山越えて小川を渡ると寺まで三十三町、暫し行くと湯浪村、

 石垣を築いた村を通って堂社のところから愈々登りになります。

 三十一町の標の先で石を伝って川を渡ります。

 そこに御來迎所とした文化十四年の碑が建っていて瀧の流れも何となく森厳です。

 一町毎に標を打った渓間をあちらこちら渡って、途中に大師野宿の跡や、御履跡石

 開山の節身体を清めて御登山になったという垢離水行川(こりとりがわ)や大師岩の

 旧跡を拝して、後六町の所まで参りますと古坊と言ふて此所は昔七堂伽藍が

 ならび立っていたところで・・・今の横峰寺は中院であったそうです。

 六十一番へは此所へ打ち戻って二里です。

 

小松町大頭からは概ね県道147号線を南へ進む

妙之谷川沿いに進み川を渡った先の分岐には最初確認した時は半分埋まっていたが今は全体が確認できる道標(宝暦4年)

 

小さな大郷大師堂の中には上部欠損の丁石

やがて旧遍路道は県道から別れ左側の山の中を通る

不鮮明であるが一部通ることが出来

幾つかの丁石、徳右衛門標石等が残る

徳右衛門標石 「横峰寺迄50丁」

愛媛県生涯学習センター発行の「伊予の遍路道」によると旧遍路道沿いには

46丁、40丁、39丁、37丁、34丁、36丁、31丁の丁石も残るようだが未確認

県道を右に曲がる所、尾崎神社前には自然石の石造物があり

読み取りづらいが道標のように思われた

道路の擁壁の中に道標

しばらくは県道を進む「峯より40丁」

2基の丁石

湯浪休憩所からは階段を登り山に入って行く

山道沿いには途中多くの丁石等が残る

14丁石も在るようだが未確認

「従峯十三町」の角柱町石は見落としたのか未確認

少し行くと少し開けた所が有り古坊と言う集落があった様で確認してないが附近より香園寺へと行けたようだ

ニ基の道標が倒れた状態で残る

横峰寺山門前の道標(明治3年)

60番横峰寺 四国遍禮名所図会より

MAP60-08(カシミール3Dにて作成)

MAP60-09

MAP60-10

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59番国分寺から60番横峰寺へ1/2(小松町大頭迄)

59番国分寺から60番横峰寺間の道標・丁石1/2(小松町大頭迄)

四国遍路道指南

四国遍禮名所図会

 領境標木 今治領さかひなり此間 天下領 壱万石天領なり 

 櫻井村 長沢村此所にて支度仕候 長沢村 此所にて支度仕候

 是より山路小坂 此間壱里程あり 次に茶屋あり

 石の地蔵 山の半に 右にあり 

 楠村 医王山道安寺 村はづれにあり

 臼井水 道の左 道安寺門前なり 石臼の井よりわき出る

 大師堂 井の上にあり 標石 井の道ぶちにあり 臼井水ト碑銘あり

 中村 川 小川也 わたり 北新町 町家なり支度致候

 丹原町 町家広し 生木地蔵 楠の大樹なり大師自刻し給ふ今に枝葉茂りある

 まへにあり 八幡宮 山上にあり下に門有り 新田村 川 常に川原なり

 大頭村 町有小松領 此所にて一宿 此所に荷物置行

 十三日 天気吉出立 大頭町 半より右へ入る 石燈篭 是より横峯寺迄百丁山坂也

 明雲寺 石燈篭より少し入りあり 不自由に峯へ登る所也人ハ爰にて札を摘然共大方登る

 おうご村 茶屋在あり是より五十丁 おうごより少し行あり?よりまた瀧也

 蛤石 登り口にあり右手に在形はまぐりのことし  銅の鳥居 是より本堂迄三丁ばかり

 六拾番佛光山福智院横峯寺 周布郡香苑寺迄三里

現在の遍路道を歩くと30km程の道法です

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国分寺入口の階段を上った所にある徳右衛門標石 「横峯迄6里」

28丁は追刻と思われる

国分寺入口の道標(大正3年

細い路地を進み右へ曲がる

路地を抜け県道に出ると2基の道標

北側の道標(弘化3年)

南側の道標(明治29年)中務茂兵衛の標石

用水路脇の道標(天保15年)

これより左へ用水路沿いに東南方面へと進む

桜井に入りT字路にある茂兵衛標石(明治37年

桜井小学校の北側生垣に折れて置いてあった道標

現在は見当たらず何処かに保存されていればいいのだが

県道156号線を進む

法華寺入口前に有る道標

少し行くと左右に道標

左側の道標(明治45年)

右側の道標

少し東方には綱敷天満宮がある

JR桜井駅から綱敷天満宮への道案内(大正13年

県道と細い路地の三叉路の道標

県道を行く

徳右衛門標石 「横峯迄5里」

少しの坂道を登ると右手に世田薬師があり

遍路道は県道から左へ別れ下り道となる(茂兵衛明治44年

世田薬師(栴檀寺)入口にある道標(嘉永元年)

坂道を下り六軒家には上部欠損の道標が有ったようだが無くなっている

坂を下りきった所の道標

北川を渡りそしてJRの踏切を越えると左側の道路下に臼井水大師堂が見える

道路の右側には徳右衛門標石 「横峯迄4里」

大明神川を渡った所に2基の道標

次の三叉路 遍路本道は右に進む(茂兵衛明治36年

しばらくは県道150号線を進む

新町の道標 是より左へ南東へ向かう

県道150線と155線が交差すると所(茂兵衛大正3年

是より県道155線 東南へ進む 

すぐの左手には和霊神社と大師堂がありその敷地内に

生木地蔵を示す常夜燈型の道標

新川を渡り左側の地蔵堂脇に2基の道標

一つは徳右衛門標石 「横峯迄3里」

150m程で旧遍路道は左側の田んぼの中を進むが旧道沿いに在った道標が

少し西側の新道沿いに移動している(文化13年)

田んぼの間にある道標 この先の遍路道は消滅している

消滅した遍路道の先にある道標(明治11年) 

西条市丹原総合支所玄関前に移設されている道標

支所入口にある里程標 「松山より10里」

田原町中を進む

とうしょく丹原店横の十字路の道標(大正15年)

民家庭にある道標 付近に有ったのだろう

生木地蔵入口の道標(大正9年

生木地蔵の出口にある道標

楠の枯れた大木の前には何を示すのか不明の丁石

鶴岡八幡宮の小山の麓を過ぎた所の道標

町道脇の自然石型の道標

小松町大頭に入り国道11号線を少し行きそれから右側へ県道147号線へ入る

500m程で横峰寺の前札所妙雲寺が有り入口に3基の道標

徳右衛門標石 「横峰寺迄100丁」

MAP60-1(カシミール3Dにて作成)

MAP60-2

MAP60-3

MAP60-4

MAP60-5

MAP60-6

MAP60-7

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58番佐礼山(仙遊寺)から59番国分寺へ

58番佐礼山(仙遊寺)から59番国分寺間の道標・丁石

四国遍路道指南

 是より国分寺まで一里 〇にや村〇松木村 此間小川有〇国分村

 五十九番国分寺 少山上 堂南向き をち郡国分村

四国遍禮名所図会

是より六丁下り池あり 此所より右の山を辿る 新居村

 松木村 川 常ニ河原とふる 国分村

五十九番金光山最勝院国分寺 越智郡国分村 横峯寺迄六里

現在の遍路道を歩くと6km程の道法です

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境内にある龍燈桜の石碑 「国分寺へ50丁」

来た道を戻る。

国分寺への分岐にある徳右衛門標石「国分寺へ1里」

山道を下って行き五郎兵衛坂と呼ばれるところにある道標

坂道の途中にある道標(安政7年)

地蔵が手差しして道を示している

坂道の突き当りには2基の比較的新しい道標が2基

これは左側へ進む

手差しの道標

遍路道は山道から舗装道路に出た所で左折するのだがここに2基の道標

小型の手差し道標

逆遍路も示す道標(嘉永5年)

小堂の中の道標

吉祥禅寺の下、溜池横にある道標(嘉永5年)

手差しの道標

県道を横切り池の横、細い水路脇にある道標(嘉永5年)

近辺には嘉永5年銘の道標が多く見られる

大野の墓地横には2基の道標(嘉永5年)

今治市新谷を北東方面へ進む

静道の歌碑道標(嘉永4年)

朝倉へ向かう道との交差点には2基の道標

 国分寺へ18丁 朝倉の萬願寺へ30丁

今治バイパスを越え松木団地手前の十字路に脇の道標(慶応5年)

道はやがてT字路に突き当たり遍路道は右へ、東南方面に進む

曲がり角にはレプリカの道標がある 「左手差し 国分寺道」

曲がってから400m程の所には昭和年代の比較的新しい道標が有ったが

道路改修で見られなくなっている

県道156号線を進み頓田川を渡った先、右手へ川沿いに少し行くとJR近くには静道の歌碑道標(嘉永5年)

少し行くと県道156号線は左へ緩やかに曲がるが遍路道はそのまま直進する

道は100m程で左へ曲がる

曲がり角のすぐ先の民家脇には真念標石

左の文字を右に改刻されている

再び県道に入り少し行くと右側に領界石があり

すぐ横には2基の道標

左手に国分寺が見えてくる 左へ向かう

四国遍禮名所図会より

MAP59-01(カシミール3Dにて作成)

MAP59-02

MAP59-03

MAP59-04

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57番八幡(栄福寺)から58番佐礼山へ

57番八幡(栄福寺から58番佐礼山(仙遊寺)間の道標・丁石

四国遍路道指南

 是より佐礼迄廿町、山道、小さか 

四国遍禮名所図会

 是より壱町程下り別當栄福寺 大師堂 是より佐礼迄十八丁なり山道 

 八幡村是より六丁行溜池有り 六丁行寺有り 是より六丁上り
五拾八番佐礼山千光院仙遊寺 越智郡八幡村山上へ十弍丁上ル 国分寺迄一里

現在の遍路道を歩くと2.4km程の道法です

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栄福寺入口の徳右衛門標石 「佐礼山迄20丁」

本堂前にある仙遊寺への丁石 「佐礼山18丁」

仙遊寺まで距離を示す願主が覚心さんの丁石がこの先多く残る(享保15年)

1?丁(16丁か?)

15丁石

14丁石

12丁石

犬塚池の下の道標(明治3年)

13丁石(12丁と順番が逆)

この先、犬塚池の縁を歩く

11丁石

10丁石

9丁石

車道へ出て8町(表記が町)

7丁石

この先の旧道は判らなくなっている

6丁は不明で5丁は移動している

車道を進み

静道の歌碑道標(嘉永4年)

逆遍路の道標

もう少し麓に在ったものだろう

1丁石(移動している)

5丁石(移動している)

3丁石 

国分寺へ向かう道筋にある

国分寺への分岐にある静道の道標 「本堂へ3丁」

この先、山門から急な道を登って行く

真念道標

以前は国分寺へ向かう分岐の(58-22)道標脇に立っていた

現在は本堂脇に置かれている

2丁石

寺への登り道の途中

四国遍禮名所図会より

MAP58-01(カシミール3Dにて作成)

MAP58-02

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56番泰山寺より57番八幡(栄福寺)へ

56番泰山寺から57番八幡(栄福寺)間の道標・丁石

四国遍路道指南

 是よりやわた宮まで十八町。行て総蛇川(蒼社川)と云川有

 〇よむら(四村)、次左衛門やどかす。〇いかなし村(五十嵐) 

四国遍禮名所図会

 是より八幡まで十有八町〇総蛇川 常に河原をとふる 大水の節ハ渡船す

 よ村〇いかなし村 石鳥居有り 是より弐町坂也
   五拾有七番八幡社別當栄福寺 越智郡いかなし村 山上へ三丁上る 佐礼迄廿丁

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現在56番泰山寺から57番栄福寺迄は表口より登り八幡宮経由で3km程の距離

 

泰山寺境内の徳右衛門標石 かなり手が加えらている

現在は寺の駐車場の片隅に置かれているようだ


これより左へ曲がり南東に進む(天保15年)

450m程進んだ十字路に在る静道道標(弘化4年)

小祠内の手差しの道標はこの先、蒼社川手前にある無縁墓地に移されている

無縁墓地の道標

文字が在るようだが読み取れず

蒼社川の土手には2基の道標

一つは静道の道標(嘉永3)

附近より川を渡っていた

川を渡った先にある道標

以前は川の堰堤を歩いて渡ることが出来たのだが

四村には上部欠損の道標

八幡宮のある山の麓に突き当たった所の道標

左へ向かう

八幡宮への登り口に在る石標

昔は是より登り八幡宮へ登りそして下って栄福寺

登り口左の植え込みの中に2基の道標

57番へ向かう別ルートにある道標

3基あり一つは中務茂兵衛道標(明治21年

道道標 上部欠損しているが58番仙遊寺(されい山)を示している

山沿いの道を400m少し進んだ所に在る道標(明治30年

八幡宮の西側の登り口に在る中務茂兵衛道標(明治32年

八幡宮登り口の道標 「八幡宮へ3丁」

緩い坂道を登って行くと左側の小道に自然石の道標

100m程登った先、栄福寺入口に置かれている道標(明治35年

前には徳右衛門標石

本堂前の舟型道標「八幡宮へ2丁」

願主の覚心の舟形丁石が58番仙遊寺へ向かう道筋に多く見られます

57番八幡宮 別当栄福寺(四国遍禮名所図会より)

八幡宮

57番栄福寺

MAP57-01(カシミール3Dにて作成)

MAP57-02

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