昔の案内記には井戸寺から恩山寺迄5里、現在歩くと約19kmです
尚この道筋は徳島教育委員の発行の図書に詳しく述べられている
2001年「徳島県歴史の道調査報告書第5集 遍路道」阿波遍路
井戸寺へ入り右側の大師堂脇に徳右衛門の標石
境内にある大きな文政2年の道標「おんざんしへ五り」
井戸寺より200m程東に分岐がありここに道標
左への道は5番地蔵寺奥の院五百羅漢へ向かい道標には廿二丁と刻んである。この先徳島迄の間、及び五百羅漢迄の道の途中にはいくつかの丁石が在り徳島佐古町が起点の丁石と思われます。もう一つの道標にある百六十四番とは 思い当たるのは照蓮標石で百番台を刻んだ道標がいくつかあります。
次に300m程東の十字路には地蔵尊等の石造物が有、丁数不明の丁石
鮎喰川土手の手前には複数の丁石、照蓮標石が並んでいます
鮎喰川は昔は歩いて渡っていましたが今は迂回して県道の橋を渡ります。
遍路道は徳島佐古八番町の国道318号線へと至るのですが途中に
付近には六丁石も在った様だが見つけられなかった
少し離れた讃岐街道筋に移設された道標
「恩山寺へ4里」の標石、同様の標石はこの先西須賀町又新堤に「恩山寺江2里」があり形式が違うが勝浦川を渡った先に同じ文化10年の道標があり「恩山寺へ36丁」
佐古八番町の国道318号線に出た所には道標が在った様ですが今は個人宅に保管されている様です
この先徳島市街に道標は余り見受けられず佐古一番町に照蓮の標石
市街を通り阿波踊り会館横を過ぎ勢見山の金毘羅神社の先、二軒屋町の上八万方面への旧道分岐にかなり傷んでいる道標
国道の左に比較的新しい
この先は園瀬川を渡るまでに道標は見当たらない
川を渡り八万町法花の県道が分岐する所の阿波銀行前に生島氏の道標
但し少し手前の園瀬川を渡りすぐの「犬山口」バス停付近より左へ犬山を通る道も古い遍路道と考えられ途中に遍路道と刻む道標がある。四国偏礼名所図会に「新堤村 印石より右へ行く」とあるのはこれかも知れない
阿波銀行前の分岐を左へ地蔵橋を通るルートはJRを越え250m程の北側に向けてのY字路が有「恩山寺へ二里」の道標がある。先の犬山を通る道はここで合流する
この先、県道136号線から別れ左へ向かう分岐に照蓮の標石
この先に地蔵橋があり渡った先に小松島への分岐を示す舟形地蔵の道標
其の外分岐にはいくつかの道標がある一つは照蓮の標石
ここには今は二軒屋の忌部神社下に移設されて無いが丈六の秋葉神社の鳥居が在り道標だけが残されたのか又は距離表記がおかしく土佐街道沿いに在ったものをここに移設したのかは判らない秋葉山を示す道標 付近の様子が変わっており10年程前の写真
遍路道の少し東県道沿いに丈六寺を示す道標
次に西側の土佐街道を進むルートで先の分岐から100m程の所に舟形地蔵の道標と照蓮の標石が在るが付近に分岐道は見当たらないのでこれらは先の二つのルートが分岐する所から移設されたのではないかと思う
大谷町南谷には自然石の道標 刻字は読み取れないが右へ進むと地蔵院、あずり越えに行けるのでこれに関連する物か
風化し表面が剥離している道標 右へ行くとあづり越
自然の山では日本一低い弁天山を過ぎて右側に2基の地蔵尊、一つが天明8年(1788)のの道標
源義経伝説の残る勝占神社前でJR踏切を渡ると400m程で二つのルートの合流地点へ
合流地点には生島氏の標石
小堂内に
MAP18-1(カシミール3Dより作成)
MAP18-2
MAP18-3
MAP18-4
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