19番立江寺から20番鶴林寺間の道標・丁石2/2(生名から鶴林寺)
旅館金子やの前には以前は少し登った先に在った道標が移設されている
写真は少し以前のもので現在はもう少し手前に在ります。
谷川沿いに中務茂兵衛の道標
そして鶴林寺へ向かう車道を横切る所に20丁と書かれた小さな道標
この横に先の「20-25」の道標が在りました。少し前の写真
200m少し行くと2基の道標
鶴林寺へ18丁とあり又丁石を5本設置した旨の刻字がります。
是より右へ行き周辺がミカン畑の中の急な道を登って行きますが振り返ってみると景色が良いです。
車道を横切る所に昭和時代の新しい道標
18丁とあるが鶴林寺への丁石だとすると場所的に丁数がおかしい
道は舗装路から山道となり水呑大師横に14丁石
次に2基の道標が並ぶ 弘化2年の道標には鶴林寺13丁
明治40年の中務茂兵衛の道標には太龍寺へ一里半との近道も示している
この先に見られる丁石はかなり古く南北朝の時代の町石でいつの頃か新たに丁数を刻み再利用された丁石が11丁から1丁迄続きます。刻字内容については次の資料を参考にしました。
徳島県教育委員会による阿波遍路道「鶴林寺道・太龍寺道・いわや道」
10丁石は応安2年(1369年)の九町石を転用
8丁石は年数が分かる一番古い丁石で貞治5年(1366年)七町石を転用
七丁石には明徳3年(1392年)とあり
6丁石には応安元年(1368年)も町石を転用
5丁石は明徳2年(1391年)の12町石を転用
4丁石は応安元年(1368年)の4町石を転用
3丁石も応安元年(1368年)の3町石を転用
この一町の町石は20番の奥ノ院慈眼寺を経て横瀬方面から鶴林寺に登ってくる道にも町石があり12町から残っていてこれが最後の町石である。
本堂への登り口に一丁石と照蓮標石がある。
1丁石は応安元年(1368年)の町石を転用している
照蓮の標石は刻字内容から元は北麓の横瀬付近の奥ノ院道に在ったと思われる
「里人はツルと云へドモ鶴林寺ト書也」
20番札所鶴林寺
MAP20-4(カシミール3Dより作成)
MAP20-5
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