四国遍路道指南より
あけいし寺迄三里〇下川村(ひとうかわ)、河有〇かいた村(皆田)
〇いなん坊村(宇和町稲生)〇明石村(宇和町明石)、此間、明石といふ大石これを白王権現といふ。此石には色々しさいあり
四国偏禮名所図会より
明石寺迄三里 是より三丁行 花香坂峠迄十八丁なり 石佛 大師観音 峠ニ有り
下河川橋有りわたり 下河村常接待有り是にて支度シ候 かいた村 いなんぼう村 小川石橋 明石村
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歯長峠への登り口に道標(明治36年)
峠までの上り道にある道標
歯長峠
峠の道標
しばらく山道を下ると右側に明石寺へ2里の道標(寛政7年)
明石寺までの間には徳右衛門標石は見当たらず
山道を下った所には石橋寄付碑がありこれは道標を兼ねている(明治36年)
峠を下り肱川を渡った下川(ひとうがわ)にある導引き大師前には中務茂兵衛の標石(明治39)
宇和町稲生から岩瀬川を渡った少し先で遍路道は右へ細い道に入るにですが
そこに道標がある
細い路地を少し登ると左の墓地脇に上部が欠損している舟形地蔵の2丁石があるがどこを示す丁石なのだろうか
少しの坂を登った所には付近より移設された中務茂兵衛の標石(明治35年)
旧道はこの場所から真っすぐ北へ向かっていたが宇和島球場で寸断されている。
宇和高校前の県道沿いには付近に在ったと思われる道標(大正8年)
今は通らないが先の球場グランドからの続く旧道沿いには明石寺へ9丁の道標(明治17年)
この先で現在の遍路道と合流する
旧道と新道の合流した所に在る道標
に右手の明石寺の奥之院白王権現前を過ぎた先、左側の道に入る手前に道標(明治15年)
寺への参道の車道沿いには上部欠損の丁石が2基残る
42番明石寺
四国遍禮名所図会より
尚、近くに有る愛媛県歴史文化博物館内にはいくつかの道標が保管展示されています
MAP43-1(カシミール3Dにて作成)
MAP43-2
MAP43-3
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