35番清瀧寺から36番青龍寺間の道標・丁石
「四国偏礼道指南」を要約すると
青竜寺迄二里半 井関村 此間小河有 〇塚地村〇宇佐村
この先、青龍寺を回り次の札所に向かうに舟に乗らず宇佐から歩いて行く場合は宇佐に荷物を置いていく。舟で行くときは、井尻まで荷物を持っていく。○福島浦 舟渡し 井尻村。ここに荷物を預けて青龍寺へ行く。竜坂があり〇龍村
澄禅の遍路日記では塚地峠を通らず海沿いの道を通ている
川沿いに行き新村 浦伝いに1里で福島 舟で渡り 井の尻より25町、7、8町登り7,8町谷へ下る 寺の前に2町斗の蓮池 仁王門より1町斗登る 清滝より3里
江戸末期の道中日記
塚地村廿五丁 入海八丁 いのしり浦七拾五丁 清龍寺廿五丁
明治末の案内記では三里二十一丁(旧二里半)
二十六丁高岡町まで打戻り、町の東端より川に沿て右へ三十四丁行き七丁の塚地坂を登り十七丁下れば宇佐、新町橋を通り右へ一丁行き立石より濱町へ出る左側のp二階建丸吉印吉田屋佐和が組合ここより濱の砂道を行き福島より入江の渡船を渡ると井の尻(宿あり)人家の間を過ぎ龍阪にかかる、上りが五丁下りが五丁を越へて田舎道を8八丁行くと三十六番 独鈷山 青龍寺
現在歩くと寺より高岡まで3.2km来た道を戻りそれより塚地峠を越え宇佐大橋を渡り竜坂を越えて歩くと11.2kmの道法です。
境内には徳右衛門標石 「青龍寺迄二里半」


来た道を高岡まで戻る
高岡町には上部が欠けた道標、これは比較的新しい


是より水路沿いではなく右に曲がる


左へ曲がる所にある江戸時代の道標 上部が欠けている


明治以降の新道にある中務茂兵衛の道標


京都の独鈷組による道標


京都の独鈷組による道標は他に高知県の甲ノ浦に2基、愛媛県に1基見られる


塚地峠口にある墓標型の道標


塚地峠への登り口にある道標 倒れている


塚地峠の少し手前の美しい道標


峠にある道標




大きな岩に文字が刻まれている


墓標型の道標


何れも近くにあった道標で最初に確認した時は少し手前の交差点に有った


これも少し移動している


宇佐の伊気神社に移設された中務茂兵衛の道標


明治19年と思われる中務茂兵衛の道標
三つに折れれているのを補修してある


昭和初期の道標


この先昭和の中頃までは渡し舟で井尻へ向かったが昭和48年に宇佐大橋が出来てからは橋を歩いて渡る。
歴史の道調査報告書によると井尻には道標が2ケ記載されており
探したのだが見当たらなかった。
井尻を通り竜坂の登り口にある丁石


丁石は峠迄には見当たらず下り道に9、8丁石が、その先に2、1丁が残っている


倒れた状態で置かれていた丁石




次の札所五社への道標


寺への登り口にある1丁石


奥の院への分岐にある道標
奥の院への途中にも同じタイプの道標が在るようだが未確認


再度現地に伺い確認したいところが多くあるのだが体調はだいぶ良くなったがコロナの関係があり行くことが出来ないが夏ごろには行けないかと考えている。
青龍寺絵図(西国偏礼名所図会)
MAP36-01(カシミール3Dにて作成)
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