四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

40番観自在寺から41番稲荷へ(灘道)経由

40番観自在寺から41番稲荷(灘道経由)間の道標・丁石

「四国遍路道指南」抜粋要約

これより稲荷へ道すじ三つあり。

一すじはなだ道、道程十三里。

一すじは中道で大がんだう越え程十三里。

一すじはささ山越え、路程十四里半。

三すじとも岩ぶち満願寺に至る。

先灘道つづき観自在寺、この間に山路、谷合

○ながす(長洲)○する木(摺木)○かしわ(柏)、この間は二里の坂

○かみはたぢ(上畑地)○はうわら(芳原)、あミた堂あり 宿かす

○いわまつ(岩松)○いわぶち(岩渕)満願寺

○野井村、観音堂あり。○のいの坂(野井坂)○いわゐのもり村(祝森)、地蔵堂○ひえ田(稗田「保田」)○よりまつ村(寄松)、毘沙門堂。これより宇和島城下迄なミ松よき道也○城下町の入口に願成寺またはもといぎともいう由緒有寺なり。すこし行き橋あり、番所あり切手を改む。城下に三十三所の観音有。町の出口にも番所あり。次に橋あり、渡って左かたはら町を行く

○下村、この間明神宮○なかあいだ村(中間「伊吹町」)、此所、八幡宮○みつま村(光満)○むた村(務田)、大師堂、窓峠、坂○とがり村(戸雁)

四十一番 稲荷宮

岩槻市史 四国八十八ヶ所日記帳(嘉永7年)より抜粋
菊川村五十三丁 中由村 柏村三拾六丁 上畑地村七十二丁 下畑地村七拾二丁 岩松十八丁 高田村十八丁 柿木村三十三丁 悦盛八丁 松がはな廿丁 宇和島四拾丁 切手改 お浦十八丁 吉田宿一り 四十一ばん 稲荷江一り半

 

山口県文書館 四国順拝道中記(文政5年)より

次御札所稲荷社へ道筋三ツ有、
一すぢ灘道 のり次へ十三里            
一すぢ中道大がんだう越 のり十三里          
一すぢさゝ山越 のり十四里半
右大がんたう越は大坂ある故、私共は難道のりへ出申候、夫より四五丁行、下灘すぎ村にて小盆めしせったいあり、山坂谷々多し、家も折々あり、弐里半行、奥かしわ村、此所にてわらび餅五ツ摂持あり、二三丁行、かしわ村より川原にて此村中より赤飯、香のものせったいあり、此川を伝い直に柏坂とて登り廿丁計、下り弐里余あり、山の峯を行也、下りてかみはたじ村、此所明神の拝殿にて飯、みそ汁、膳にすへ摂持あり、世話方女中計也、化粧杯致、着類、其外器等近頃の御摂持なり、此所五六軒家あり、是より道よし、おわら村大師堂にてあらめ、にしめ御飯御摂持有、かみ結もあり、五六丁行、岩松村、町家宜く宿多し、此町にて小西喜四郎方にておむし竹皮二包、又わらつ壱足摂持あり、此所笹屋彦兵衛に泊、米九十文、木賃十三文
○廿二日天気宜敷出立、四五丁行、此近村の久保津村より赤飯せったいあり、夫より宇和島御城下江入少し行、遍照山願成寺とて大師元結懸ケ之古跡也、両大橋を越て御番所あり、往来入切手御改あり、此近辺に萩の森御寺有之、参詣する事御法度之旨、是より御家中通り橋を越て町家へ出る也、御城見物致し候、茶店多し、
〇和霊社江参る、美しき御宮居也、幸今日御日に当り御祭礼あり、尤居祭りなり、
能舞台杯御座候、夫より道よし、此辺吉田御領也、弐十四五丁登りの坂あり、
此峠に常善坊とて大師堂あり、七度栗の御守出る、壱ケ年に七度宛実のる栗なり。夫よりいなりへ十五丁

稲荷大明神

 

40番の門前には近代の道標

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 寺より1km程の所に中務茂兵衛の標石があり船場を示す

明治時代には付近より宇和島迄船の便があった様で明治時代の案内記には

「次へ十二里三十丁余(旧十三里)(この間は途中、柏坂に伊予の松尾坂と云う二ヶ所の難所がある、汽船で行けば難所を越さず、楽に宇和島に上陸し四十番の奥の院龍光院にかけて四十一番へ行くが楽で、汽船は深浦と貝塚の二ヶ所より出船がある」と書かれている

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次に800m程遍路道を進むと真念の標石

恐らく道路工事で埋没していた道標が出てきた模様で泥で少し汚れていた

この道標については遍路の研究で著名な喜代吉氏へ連絡して確認してもらいました。

現在は歴史博物館に保管されているようです。

尚、真念標石とは縁があり丸亀でも民家横に在った標石を確認しています。

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この先の旧道は通ることが出来ませんでした

菊川の国道脇、厳島神社口には付近に在った菊川橋の石標等が集められている

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この先、柏までは今は国道を歩くことになるが昔の遍路道は一部通ることが出来ましたが少し山手を通って柏に出ていたようです。

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柏には茂兵衛の標石と平城を示す標石

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柏坂の登り口手前には柏坂越えを示す道標

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四国のみちでもある遍路道の峠を越えて下り道の途中には昭和の道標

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さらに下り小祝川を渡る所には徳右衛門標石

下部が埋まっているが 「いなりへ八里」

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そして上畑地から岩松へ此処からの遍路道は江戸末期頃までは岩淵の満願寺経由で野井峠を越え宇和島へ向かっていたようだが近世の特に明治以降は主に距離が短い高田から松尾峠を越えていたようです。

野井坂越えの遍路道には野井に

「いなりへ五里」の徳右衛門標石

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野井坂を越えて下り高速道路の祝森トンネル下付近の道標(城下御番所迄一里に丁、稲荷へ四里二丁等を示す)はトンネル工事前は見過ごしその後、高速道が出来てから付近を捜したが見つけられなかった。

保田の旧道沿いには台石型の道標

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 宇和島に入ると中務茂兵衛の明治42年の道標 

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現在40番奥の院である龍光院参道に明治35年の中務茂兵衛の道標

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出口には明治40年の道標

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宇和島市街の出口で左に折れる所にある道標 

どこかに保管されて居たらいいのですが今は無くなっています。

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この先すぐ橋の袂には徳右衛門標石

「いなりへ 二り」

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暫く県道を歩くと左手に大師堂が有りその前に徳右衛門標石

「いなりへ一里二丁」

この標石はかつてJR予土線付近を通っていた旧遍路道沿いから大師堂と共に移設されたようです。

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中務茂兵衛229度目の道標

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窓峠付近の大正時代の道標

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務田交差点にある道標

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戸雁には2基の似たような自然石の道標

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鳥居の前の中務茂兵衛の道標、263度目

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本堂手前の常夜燈型道標

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四国遍禮名所図会より

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 MAP41-1

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MAP41-2

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MAP41-3

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MAP41-5

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MAP41-10

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