四国遍路道指南
是より大山寺迄二里・・・〇道後湯・・・・松山城下へこれよりひだりへ行、三津のはまへ一里、松山によらぬときハ、道後より〇山越村、是ハ、道後より右への道・・・・
〇たに村・・・〇あんじやうじ村〇太山寺村、爰に太山寺の惣門有 是より本堂まで八丁 ふもとに茶屋あり
四国遍禮名所図会
門前茶屋にて 是より義安寺道ノ右にあり
本尊薬師如来 地中より出現 是より道後入口家也
湯月八幡社・・・・・道後温泉・・・・・・道後町放れより山越村
萬松山龍泰寺往来の右にあり
本堂 五百羅漢本堂安置ス御長壱尺余
谷村 室岡山薬師堂 右の方あり
安常寺村 大山寺村 此所茶屋あり支度いたし荷物置き是へ戻る
弁財天社左手あり 池。惣門
五拾二番瀧雲山護持院太山寺 和泉村大山寺村 山へ少し上る 円明寺迄十八丁
現在石手寺から歩くと11km程の道のりです
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石手寺の少し南に移動している道標




寺前を西に300m程 中務茂兵衛の標石(明治24年)
左へ行くと松山市街に向かう
真っすぐは道後を経由する遍路道


義安寺の西側入口の道標(文政4年)


以前は椿湯の内庭に置かれていた


少し北の旧遍路道より移設された道標
現在は建物の工事で撤去され見当たらなくなっている


現在、愛媛県歴史文化博物館に展示されている道標(明治21年)
元は道後上市に有った


県道20号線を横切った先にある道標
手差しの形はこのように指差しと開いた手差しで表している道標が多い




T字路に立つ2ヶの道標(明治21年)


大正9年の道標


笠のついた立派な道標 2面には多くの人名が書かれている
南へ向かうと松山城下


裏面に刻字があり元は裏面が正面であったようです
遍路道はこれより北へ向かう


還熊八幡神社を示す道標


しばらく国道を歩くことになるが道は改修されて旧街道の面影はない
国道から右へ別れた先四辻の所に中務茂兵衛の標石(明治21年)
川沿いに西へ向かう


川に沿って道なりに北へ進むと遍路道は土手道を下り左へと向かう
分岐には2基の道標


1基は太山寺へ27丁と示す
この先には同様の舟型地蔵道標が幾つか残る








橋の袂にある道標(太山寺へ17丁)


この先道筋は2筋あり
北側を通る道筋近くの大淵集落に倒れて置かれている道標


大淵の道標(嘉永5年)


500m程西へ向かうと太山寺から53番円明寺へ向かう道の分岐となるが
ここに道標が在ったが現在は山沿いの道の溜池沿いに移設されている


移動している道標


山沿いの道の道標


山沿いの道の出口にある道標(嘉永6年)


太山寺一の門前に2基の道標
左へ行くと三津浜でこの先54番円明寺へ行って戻り三津浜に向かいそれより
船で安芸の宮島(厳島神社)経由で55番延命寺へ向かう遍路もいた




山門を過ぎ太山寺駐車場入り口脇の道標


急な坂道を上って行くと高浜港から登ってきた道との合流点にある道標


坂道の突き当り奥には移設された道標(太山寺へ42丁)


52番太山寺




MAP52-01 (カシミール3Dにて作成)
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MAP52-05
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