四国遍路道指南
これより西林寺まで一里
〇ゑわら村(恵原町)大師堂有り
此村の南に右衛門三郎の子八人の塚有
石手寺の縁起にくハし 〇小村(小村町) 大師堂 此間川三瀬有
〇たかゐ村(高井町)九朗兵衛、吉左衛門其ほかやどかす
四国遍禮名所図会
門前より右へ入 恵原村町家也 長し 八ツ塚町半より左へ入行
右エ門三郎子八人の塚なり故ニ八塚ト云 塚の上に石佛地蔵有り
小村 左手ニ社見ゆる 松の大枯木有り 川 是より少し行 小川 是より少シ行
庵 本尊大師 御自作也左手ニ有り 大川原高井村
今の遍路道を歩くと4.4km程の距離
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八坂寺門前 右側に徳右衛門標石


左側には


えばら湖の土手下に記年銘のあるものでは四国で二番目に古い道標
貞享2年(1685年)


尚、池の土手の堤防に今は愛媛県立歴史博物館に保管さている道標が在った。


それより遍路道を250mほど行き県道に合流する所に
逆遍路道も示す道標


左へ行くと衛門三郎伝説の八つ塚がある


八つ塚に向かうと愛媛銀行のグラウンド脇に自然石の道標


松山(土佐)街道である県道194を進むと中務茂兵衛の道標(明治19年)


近世の道筋にある道標(大正15年)


御坂川を渡った所に在る札始大師堂を示す道標


札始大師堂敷地の道標 移設されたものだろう


150m程で遍路道はたんぼの間を通る


やがて小村で県道に突き当たる
中務茂兵衛の道標(明治26年)


八坂寺から西林寺へはもう一つのルートがあり
この道は48-12の道標で合流する
以下は別ルート
八坂寺から少し東へ向かいそれより北上して御坂川を渡る
その道筋近くに在ったと思われる道標


御坂川を渡り松山市東方(ひがしかた)町にある大蓮寺内には道標が移設されている
以前は気が付かなかったので最近置かれたものかもしれない




200m程で


さらに100m程で民家の塀脇には自然石の道標
もとはどこに在ったのだろう


この先の小村町で先の遍路道と合流する
遍路道である県道207号線と県道23号線の交差点北東に


その先、重信川は久谷大橋を通るが昔は少し下流を歩いて渡っていた。橋を渡った先で西へ行き旧道に入る。そこには2つの道標 ここから東に向かうのは金毘羅街道
左側の中務茂兵衛の道標(明治24年)


右側の道標 (金毘羅まで29里)


遍路道はやがて県道を横切るがそこにも中務茂兵衛の道標(明治26年)


それより400m程で西林寺前に出る。
48番西林寺
四国遍禮名所図会
MAP48-01
MAP48-02
MAP48-03
MAP48-04
(=^・^=)END