四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

二反田坂

19番立江寺から20番鶴林寺への道筋で櫛淵町から勝浦町沼江に小坂を超えるには地形図を見ると3本の道筋が考えられる。

ルート1

通称「二反田坂」で案内記、道中日記等には名前が出てこないが江戸時代に歩かれた道である。唯一、細田周英の四国偏礼地図に「ニタンダ坂」と表記されるのみである。今は付近の小字として「二反田」が残る。

道筋は櫛淵小学校手前の三差路を現在の遍路道とから分かれ右に入る道筋であるが

三差路にはニつの道標が並ぶ、その内一つは真念道標である。

 真念道標とは四国八十八ヶ所のバイブル的な案内記として有名な

 「四国偏礼道指南(みちしるべ)」を出版した修行僧「真念」さんが願主となって

  およそ300年程前、四国各地に設置された道標で現在37基ほどが確認されている。

  なお櫛淵町には3基も在る。

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隣の道標も同様の物が徳島、高知、愛媛で6基程見られます。何れの道標も少し移動していると思われる。
是より旧道を1km程行くと

寛延二年(1749)の地蔵尊があり傍らに櫛淵町3つ目の真念道標がある

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左へ道を200m程行くと地蔵と江戸時代の遍路墓が集められている。地蔵の後ろにある石造物も道標の一部みたいだが不明

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この道を少し行くとやがて道は登りとなり竹林に入るのだが竹が生い茂り進むことが困難となっている。以前は通れたのだが
旧道が尾根筋に出た所にも地蔵、遍路墓が集められている。

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ここには櫛淵町公民館による地蔵尊の由来書きが有り
「この道は櫛淵町と勝浦方面を結ぶ重要な街道であったばかりでなく古来四国八十八ヶ所の参道と利用されていたために街道筋には多くの墓標や無縁塚が散見されるしそれにまつわる幾つもの伝説も残されている」と書かれている。

地蔵尊より車が通れる尾根道をさらに少し登ると峠であるがその先下り道は、道筋がはっきりとしない。沼江には下部欠損の道標がある。

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ルート2

道筋は先の「20-06,07」の道標から県道沿いをこれも1km程行くと

中務茂兵衛の道標が在る

この中務茂平衛の願主による道標は四国各地に現在250基程確認されています。

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これより右の旧道に入り200m程で左の小道に入りその先に溜池がありその手前に

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これより先は池の東側を通ると思われるが途中ブッシュとなり進むことが出来ない。

ルート3

先の[20-09]の道標からそのまま県道28号線を進むと番外札所の取星寺からの道(県道22号線)に出る。ここに2つの道標

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この先、沼江迄に明治時代の道標が2ケ有りその先遍路道は勝浦川沿いを西に鶴林寺へ向かう。

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尚、写真は少し前に撮影したものもあり現況は変わってるかもしれません。