坂本の小川(内谷川)を越えてすぐの民家の前に上部が欠けた丁石 38丁石?
次に100m程、右側の石組の中に 33丁石
少し行くと左に弘法大師御通夜岩があり右側に小堂があり横の常夜灯には
「霜不降通夜大師」と書かれた文久元年(1861年)の常夜灯があります。
此処を訪れた時は気づかなかったが「燈火録」に書かれている弘法大師の石造は小堂の中なのか、又はバス道にある坂本大師堂に在るのだろうか機会が有れば観てみたい。
それより400m程行くと道の左側に2基の道標と丁数不明の丁石(35丁)が倒れた状態で置かれています。このような道標は何れは無くなってしまうのではないだろうか、歴史ある道の貴重な文化遺産として適切な保存をしてほしいものだと思う。
この先真っすぐに進み宮下橋を渡り100m程行くと八幡神社の鳥居があり
その左脇に33丁石
道は鳥居前を通るが旧道は道が消滅しているが鳥居の左側を登っていたのではないだろうか少しだけ調べるが石造物などは見当たらなかった。そして坂本トンネル手前の坂本バス停の少し手前、旧道の入口の向かいの家の前には何れも欠けた道標と丁数不明の丁石が倒れた状態て置かれている。道標は土地の人の話では写真の登って行く旧道登り口にあったとのことであった。
是より旧道を登って行き鞍部に出た所には道標と29丁石
道標は昭和30年代に設置されたもので同様の道標は徳島の札所2番から22番までの間に主に矢印とへんろ道と刻字され60基以上確認できる。丁石も比較的新しい時代の物と思われる。
100m程で28丁石が右側の石組に在る
やがて道は山道となる。27丁石は見当たらず次に26丁石が道の左に
少し先で舗装道路となり右側に手印道標と20丁石が倒れた状態で置かれている。
道は登らず左側の道を進む
ふたたび山道となり右側に24丁石
次に23丁石
そして上部の掛けた22丁石
少し進み21丁石ここまでの数丁の丁石はほぼ等間隔にあり元の位置と考えられる
次に見晴らしの良い斜面に道標(20奥-14と同じ道標)
やがて道は舗装道路となり右側に斜めに割れている18丁石
すぐ先50m程で右に石造物が集められておりその中に二つの道標
地蔵型道標は正徳5年(1715年)で何れも付近の分岐にあったものだろう。
やがて道は車道に出、左に折れる。この先、遍路道はしばらく車道を歩くのだが国土地理院の地形図に載っている小道が右側にあり旧遍路道はこれを登って行く。
少し荒れてはいるが歩いて登れる。旧道に入り少し行くと大師像があり旧道だと判る。そしてすぐに道標が在った。
上部は削られたように見えるがこの付近は佐那河内方面と奥ノ院の分岐がありそこのものだと思われる。
50m程で15丁石
少し行くと広い道に出るそして60m程行き道の少し上にある旧道脇に14丁石
この先で道は現在の遍路道に出る。これを右に登って行くと先の昭和30年代の物と同じで「へんろ道」と刻字された道標が2ケ在った。
旧道は真っすぐ進むと思われるが消滅していてはっきりしない
現代の遍路道を少し戻る形で下り少しして遍路道と分かれ西に進むと右側の登りとなる所に丁石が倒れて置いてあった。
6丁石なのでこの丁石はこの先、滝遥拝所付近にあったものと考えられる。
100m程で作業道を分かれ廃道となっている旧遍路道にはいる。
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