前回の続で法然寺(仏生山)から84番屋島寺への道筋で83番一宮寺から84番屋島寺への本道と合流する木太町迄の道標を紹介します。
道筋を明治時代の地形図から私なりに想定し現地の確認をしたので他にも移設された道標などが残っているかも知れません。
法然寺の惣門を出た所にやしま道の最初の明治12年(1879)道標
北へ170m程の勝神社登り口に
この先の道は確定できませんでしたが県道の東の仏生山町と多肥上町との町境にある道を北上すると明治元年(1867)の道標があり
さらに北上し仏生山駅方面からの道に出てからは東へ向かう。150m程で金物で補強された寛政3年(1791)の道標
これより左の旧道を北東方面へ進むのがやしま道で上林町に入ると道路沿いに石造物が少し集められおりその中に地蔵型の道標が2基
この先の道は旧飛行場跡で完全に道が消滅している。付近の上林共同墓地に明和4年(1767)の地蔵台石型の道標が移設されている。
旧道は明治時代の地形図(地形図は国土地理院で旧版地図としてコピーを購入できる。又、WEB上では(時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)が公開されてい手前に大変ありがたいです。http://ktgis.net/kjmapw/index.html)
地形図によると県立図書館付近を通って北上していたようです。
高速を越えて大池東にある墓地の一角には2基の道標が移設されている。
これより50m程北で右に折れ東へ進むと小な池の傍に2基の道標
この先も道がはっきりしなくなりましたがMAPのように歩きました。
しばらくは道標は見られず琴電長尾線を越えて木太町に入り県道272号線の先にある
木太天満宮の手前に2基の地蔵型道標が移設されている。
小堂内の地蔵道標は説明板によると折れ地蔵と呼ばれ現在地の南1つ橋の袂に在ったようです。
この先川を越えると83番から84番屋島寺へ直接向かう道に合流する。
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MAP3(カシミール3Dより作成)
MAP4
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