照蓮の標石(徳島3)


これは正面に千躰大師の文字ではなく第百五十一番と番号が刻んである。
同様の標石は合計3基確認してます。
次に奥ノ院を出て右へ下る所に15-05


15番国分寺を出て少し行くと16-03


国府町矢野の右に曲がる所に石造物が集められておりここに16-06
今は下部が土中に埋まっています


次に左に折れる所に標石16-09


MAP3-1(カシミール3Dより作成)
16番観音寺を過ぎると17番井戸寺への遍路道は二筋ありますが東側の道筋に3基の標石






16番観音寺を過ぎ鮎喰川を渡る手前に地蔵丁石と並び標石18-10


MAP3-2
徳島市街に入り文化13年(1816)の標石 この標石は照蓮標石のなかで年号が一番後期の物です。刻字が他の標石と少し違い寺への表示がされている。


MAP3-3
徳島市街を過ぎ遍路道は土佐街道と重なり南下して行き冷田川、園瀬川を渡りる。
八万町法花で土佐街道から別れ遍路道は左へ県道136号線を進む。
やがて遍路道は県道から左へ分かれるがここに標石18-22


少し進むと地蔵橋があり渡った所にいくつかの道標がありその一つが標石18-25


先ほどの土佐街道を分岐から少し行った所に標石18-28


これは場所が変わっていると考えられおそらくMAPの18-19付近で遍路道との分岐にあったのではと思います。
MAP3-4
次に勝浦川を渡りしばらく行くと上部しか見えない標石18-42


それより車も少なく歩きやすい遍路道を900m程行くと標石18-44


遍路道の本道ではなく小松島の港から徳島方面に向かう道筋に標石18-小松島10


MAP3-5
18番恩山寺への旧遍路道を山門を過ぎ山路に入り寺の入口近くに標石18-61


恩山寺の第二駐車場の片隅に標石19-02




この標石は折れたものをつないであり風化もかなり進んでいる。
この先、弦巻坂の遍路道で坂を登った所に標石19-05
これは下部が埋まっている。


坂を下り釈迦庵を過ぎると右へ細い田んぼ道となり標石19-08


県道沿いには標石19-15
この標石は赤石港から恩山寺への道筋に関係する道標と思います。


MAP3-6
19番立江寺へ行き戻る所に中務の道標と並んで二つに折れた標石19-24


そして赤石港から19番立江寺への道筋には3基の標石が在ります。






MAP3-7
(=^・^=)END