地蔵寺の参道口の「不許葷酒入山門」と刻まれた石碑
五百羅漢の近くに
地蔵寺から南へ撫養街道に出た所に宝暦六年(1756)の地蔵尊(4番から5番への道筋に残る地蔵丁石と同じ願主である義暁)があり傍らに中務茂兵衛と照蓮の標石
これより遍路道は右に折れ西に200m程で道標
これは右へ200m程の所に有る筆塚を示している
滝ノ宮を過ぎ神宅集落に入る手前に道標
これは西への道は遍路道、北へ向かうと大山越、一本松越で讃岐(香川)への道を示す
次に700m程行くと四辻があり右側に石造物多く集まりその中に
1つは四国中に見られる益田氏の標石で大山寺を他の1基は真っすぐ行くと安楽寺、左へは徳島と示す
すぐ近くには折れて置かれている中務茂兵衛の標石
加治屋原の辻にあった道標が北に1.5kmほどの上板町歴史民俗資料館の裏に丁石と共に置かれている
この辻から少し北の松尾神社前にも道標があり少し先には丁石
これはこれより北の泉谷の和泉寺(わせんじ)を示すと思われるが18丁からすると元の場所はもう少し北にあったと思われる
次に300m程行くと2基の道標
そして600m程で6番安楽寺です
寺内にはこの先上板町引野字西屋敷にあった真念の標石保管されています。
拝見させてもらいましたが撮影は出来ませんでした。尚、元の場所にはレプリカが設置されていますが
この場所から寺への道が見当たらず元の場所は違う所かもしれない「右あんらくじ」というのも方向が不自然と思うのだが
MAP6-1(カシミール3Dより作成)
MAP6-2
(=^・^=)END