四国遍路道の道標・丁石

四国八十八所の遍路道にある道標、丁石を紹介します

徳島(阿波)

4番大日寺から5番地蔵寺へ

4番大日寺から5番地蔵寺間の道標・丁石 大日寺から次の札所地蔵寺迄は案内記によると18町(約2km)と書かれていますがこれよりは少し近いと思います。 大日寺から地蔵寺の間には丁石が15丁から減っていき2丁石まで残っています。 殆ど(10丁、8丁以外)が…

2番極楽寺から3番金泉寺へ

2番極楽寺から3番金泉寺間の道標 極楽寺境内には5つの付近に在った道標が移設されてます。 一つは1番からの道筋に在ったものです。 山門横より右へ細い遍路道へ、墓地を通って下った所に この道標の脇には徳島の遍路道で数多くみられる矢印とへんろ道と刻字…

1番霊山寺から2番極楽寺へ

1番霊山寺から2番極楽寺 門前の寺標石前に 寺から撫養街道に出た所の大麻比古神社の標石 それより200m程の17番への分岐に 次に600m程の街道から右へ極楽寺への分岐に2ケの標石一つは真念さんの標石 02-05は小堂内の為、詳細は不明でした 次に極楽寺へ入り…

照蓮の標石(徳島4、高知、香川)

照蓮の標石(徳島4、高知、香川) 19番立江寺から20番鶴林寺に向かう道筋には MAP4-1(カシミール3Dより作成) 19番立江寺から20番奥ノ院(慈眼寺)へ行きそれより鶴林寺へ向かう登り口に20奥-51 少し登った所に20奥-55 幾つかの丁石を見ながら20番鶴林寺へ…

照蓮の標石(徳島3/3)

照蓮の標石(徳島3) 14番常楽寺から八幡神社を過ぎ奥ノ院の手前右側に15-03 これは正面に千躰大師の文字ではなく第百五十一番と番号が刻んである。 同様の標石は合計3基確認してます。 次に奥ノ院を出て右へ下る所に15-05 15番国分寺を出て少し行くと16-03 …

照蓮の標石(徳島2/3)

照蓮の標石(徳島2) 8番から14番迄の照蓮の標石を紹介します。 7番の少し南に標石08-02 これは正面が改刻されていると思われます。 それより高尾谷橋を渡りすぐ右側に08-05 次に100m程で左に08-06 170m程の観音庵前に08-07 旧道は右に曲がって行くようで…

照蓮の標石(徳島1/3)

照蓮の標石 徳島の遍路道を歩いているよく見られる標石でその殆どに四國中千躰大師と刻まれ指印で進む方向を示しているのが特徴で文化6年(1809)から文化13年にかけて建てられたようで愛媛を除く四国3県(徳島県内が大多数)に約80基程在りこれを紹介します…

13番大日寺(一ノ宮)から11番藤井寺への道

藤井寺から13番一ノ宮(大日寺)への道筋でこれは「澄禅の遍路日記」にある道筋の道標・丁石を紹介

21番太龍寺からのいわや道

この道筋の一部は(阿波遍路道 いわや道)として国指定の史跡となっています。 この道の始まりは太龍寺から階段を下る途中に寛政9年(1797)の徳右衛門標石があり平等寺迄は2里と記してます。又、近くには麓迄50丁と記した道標もあります。旧道はおそらくこ…

20番鶴林寺奥ノ院道(灌頂ケ瀧)3

20番奥ノ院慈眼寺への道ですが 四国偏礼道指南にある〇おおくぼ村(大久保)付近から先の遍路道は完全に廃道となっており大部分は残っていますが数ケ所斜面が崩れ道が消滅しており通行は出来ない状態です。この道筋は上勝町から灌頂瀧を通り慈眼寺へ向かう車…

20番鶴林寺奥ノ院道(灌頂ケ瀧)2

坂本の小川(内谷川)を越えてすぐの民家の前に上部が欠けた丁石 38丁石? 次に100m程、右側の石組の中に 33丁石 少し行くと左に弘法大師御通夜岩があり右側に小堂があり横の常夜灯には 「霜不降通夜大師」と書かれた文久元年(1861年)の常夜灯があります…

20番鶴林寺奥ノ院道(灌頂ケ瀧)1

19番立江寺から20番鶴林寺へ直接向かわずに20番鶴林寺奥ノ院(慈眼寺)を経由する道筋で勝浦郡生名より横瀬、坂本、黄檗を経て奥ノ院慈眼寺へ行き、それより横瀬までもどり鶴林寺へと向かう 各種案内記、道中日記等から記載内容を要訳抜粋 ①四国偏礼道指南(…

三好氏の里程標

四国第一番霊山寺の門前、寺標石の横に道標があります。 (写真の右端) この標石は三好氏によるものですがこれは明治末から昭和にかけて出版(増補31版迄)された「四国遍路 同行二人」に四国霊場開基1100年を記念して建てる旨が記載されてます。 この本は…

徳右衛門標石

徳右衛門標石で不明なものや知られていない標石を紹介

二反田坂

19番立江寺から20番鶴林寺への道筋で櫛淵町から勝浦町沼江に小坂を超えるには地形図を見ると3本の道筋が考えられる。 ルート1 通称「二反田坂」で案内記、道中日記等には名前が出てこないが江戸時代に歩かれた道である。唯一、細田周英の四国偏礼地図に「ニ…